僕は「メタファー:リファンタジオ」というRPGが大好きです。

剣と魔法と様々な種族が存在する、ファンタジーの世界を舞台としています。

メタファーが珍しいのは、「選挙」を題材とした作品ということです。

物語を通して、「主人公」とその宿敵「ルイ」という、対極的な理想を掲げる二人のキャラクターが描かれます。

今回は、主人公とルイを比較しながら、リーダーのあり方を紐解いてみたいと思います。

メタファーのあらすじ

Note

「主人公」と「ルイ」が目指す世界は、どちらも「格差のない社会」という点では共通しています。

しかし、その中身は正反対でした。

ルイの目指す理想の世界

ルイが目指したのは、チャンスの平等に基づいた「実力主義」の世界です。

種族、身分、血筋という不条理を壊し、力ある者だけが正当に報われ、のし上がれる世界。

合理的に見えますが、その裏には、弱者を容赦なく切り捨てる冷徹な選別が潜んでいます。

主人公の目指す理想の世界

主人公が目指したのは、存在そのものを肯定する「博愛的な平等」の世界です。

種族、身分、血筋、能力の有無に関わらず、誰もが等しく尊厳を持って生きられる優しい世界。

一見すると理想論に聞こえますが、そこには揺るぎない「善」という強さが宿っています。

理想を実現するための二つの善

理想を語ることは誰にでもできます。

しかし、それを正しい形で実現させるためには、大切な基準が二つあると僕は考えています。

Check

この「二つの善」という基準で見つめ直すと、主人公とルイの決定的な差が見えてきます。

ルイの目的と手段

ルイの掲げる理想は、不条理な格差を壊す「実力主義による平等」です。

それは既存の腐敗を打破するという意味では、ある種の善と言えるかもしれません。

しかし、その本質とは、強者のみが生き残る世界の構築であり、弱者や立ち上がれない者にとっては、救いのない地獄のような場所です。

一部の人間だけの幸福を追求し、その裏で人が犠牲になるのは、真の「目的の善」とは言えません。

さらに、ルイはその実現に向けた手段において、決定的な過ちを犯しました。

目的のために相手の自由と尊厳を奪うそのプロセスは、どれほど高潔な理想を語ろうとも、善とは程遠いのです。

主人公の目的と手段

主人公が掲げた理想は、誰もが等しく尊厳を持って生きられる「真の平等」です。

ルイが強者のみを救済の対象としたのに対し、主人公は弱者や迷える者、そして今はまだ立ち上がれない者さえも救済しようとしました。

不条理な差別をなくすだけでなく、一人ひとりが自分の人生に誇りを持ち、尊重し合える社会を目指したのです。

すべての人の幸福を願うその志は、まさに全方位的な「目的の善」と言えるでしょう。

そして、主人公の真骨頂はその実現手段にあります。

彼は力で相手を屈服させ、恐怖で民衆をコントロールするような道は選びませんでした。

貫いたのは、寄り添いや対話という「善なる手段」です。

自らが先頭に立って困難に立ち向かう背中を見せ、一人ひとりの心にある不安に寄り添い、対話を重ねる。

相手が誰であれ、その人の抱える苦悩を無視せず、対等な人間として向き合い続ける。

それは一見すると、非効率な手段に見えるかもしれません。

この揺るぎないプロセスこそが、人々の心に希望を灯し、恐怖による支配を超えた「自発的な団結」を生み出す唯一の鍵となったのです。

宿敵ルイへの共感と主人公としての葛藤

理性的に考えれば、主人公の目指す社会が真の理想だということは明白です。

しかし、僕は物語の中で主人公として奔走している最中、宿敵であるルイの思想に共感しそうになった瞬間がありました。

ルイが突きつけた残酷な真実

物語の後半で、ルイは主人公に残酷な真実を突きつけました。

この世界の平和は、歴代の王たちが「王剣」という強大な魔法を使い、民衆の抱く不安を無理やり抑え込むことで成り立っていたのです。

本来、一人ひとりが向き合うはずの不安はすべて「王剣」へと集められ、国王一人がそれを引き受けてきました。

国民は魔法に守られ、自らの内なる不安と向き合うことを免れてきたのです。

この世界において不安に打ち勝てない者は「ニンゲン」という怪物に変貌し、自我を失ってしまいます。

ルイが企てたのは、その魔法の縛りを解き、民衆に「不安」を直接突き返すことでした。

不安に飲み込まれ、怪物になった者はルイ自身が討伐する。

打ち勝てない弱者は淘汰され、主体的に生きられる強い者だけが存在する世界。

それこそが、ルイの目指す「力こそが平等」という世界の本質でした。

主人公が直面した民衆の醜さ

なぜ、そんなルイの過激な思想に、僕は共感しそうになったのか?

それは、主人公として命懸けで社会を変えようと奔走しても、民衆の多くが徹底した「他責思考」に染まっていたからです。

状況が良ければ称賛し、少しでも悪くなれば手のひらを返して罵倒する。

自分では一歩も動かず、安全な場所から文句だけを吐き続ける人々。

その醜さを目の当たりにしたとき、僕は妻と顔を見合わせて言いました。

「こんな人たちを、命を懸けてまで助けなければならないのか……」

ルイの所業が悪だとは分かっていても、民衆に絶望し、切り捨てたくなる彼の気持ちは痛いほど理解できてしまう。

ゲームの中の依存的な民衆と、現実社会にいる他責的な人々が、僕の中で重なって見えてしまったからです。

僕も妻も、日頃から「主体性」を何より大切にして生きています。

ルイの定義で言えば、僕たちは自立した「強い者」の側に属するでしょう。

おそらく、彼が作る実力主義の世界でも生き残れると思います。

だからこそ、「良くないことだ」と頭では理解していても、強者の論理であるルイの思想に、共感しそうになったのです。

理想が独裁へと変わるユートピア思考

しかし、ここには恐ろしい「ユートピア思想」の罠が潜んでいます。

ユートピア思想とは、誰もが平等で争いがない、現実には存在しない理想郷を目指す思想です。

その理想が「現実の欠陥をすべて排除した完璧なもの」にすり替わったとき、恐ろしい側面が顔を出します。

ルイが目指したのは、誰もが実力で評価される理想郷でした。

しかし、完璧さを求めるあまり、そこには弱さや依存を一切許さないという強力な「切り捨て」が組み込まれてしまったのです。

ルイの思考は、まず自分の理想を唯一の正解として「絶対化」しました。

すると、変わろうとしない者や依存し続ける者は、理想の実現を阻む「ノイズ」でしかなくなります。

最終的には、理想を実現するためなら、力で相手を矯正したり排除したりしても構わないという、手段の正当化に至りました。

自分に共感できない相手から「自由」を奪おうとしたとき、それは善から最も遠い場所への転落を意味するのです。

信じるという真の強さ

主人公のあり方は、ルイとは根本的に違いました。

民衆の醜さを知り、激しい罵倒に晒されながらも、彼は「それでも民は変われる」と信じ続けました。

目の前で困っている人を助け、一人ひとりの声に真摯に耳を傾ける。

その愚直なまでの積み重ねこそが、絶望に沈んでいた民衆の心に「希望」という小さな灯をともしていきました。

たとえ時間がかかったとしても、外圧による服従ではなく、相手の内側から「変わりたい」という意志が自発的に生まれるのを、彼は自らの歩みをもって待ち続けたのです。

自発的に立ち上がった人々が連帯してこそ、真に強固な社会が築かれるのだということを、彼はその歩みをもって証明したのです。

依存的な民衆に絶望し、力による救済を選んだルイの気持ちは理解できます。

しかし、最後まで国民を信じ抜いた主人公の姿、そして自らの意志で歩き出した国民の姿を見て、僕は確信しました。

やはり、主人公の目指す理想の世界の方が、真に強く、そして尊いのだと。

恐怖で支配する「強さ」は、より大きな力に屈した瞬間に終わりを告げます。

けれど、一人ひとりの主体性を信じ、自発的な変化から生まれた「強さ」は、誰にも奪うことのできない、本物の改革となるのです。

僕が目指すリーダーとしてのあり方

メタファーが示すリーダーシップの教訓は、経営や情報発信にも全く同じことが言えます。

僕たちがビジョンを掲げ、人々を理想の未来へ導こうとするとき、必ずルイが突きつけたような「葛藤」に直面するからです。

僕が目指す理想の世界

例えば、僕はWebマーケターとして、中小企業や個人事業主の方々をサポートしています。

集客や販売を支援するのはもちろんのこと、僕の中には一つ、譲れない「裏テーマ」があります。

それが、「教育の力でより良い社会を実現すること」です。

今の時代、ビジネスにおいて情報発信は必須です。

僕たち事業者が、顧客に向けて自らの想い、価値観、ストーリー、そして専門知識といった良質な情報を発信する。

それは単なる宣伝を超え、受け手にとっての「学び」となり、人々を成長させるきっかけに繋がります。

僕が本当にやりたいことは、この好循環を生み出し、精神的に自立し、成熟した人間を増やすこと。

そして最終的には、「一人ひとりの個性が輝き、互いを尊重し、笑顔があふれる社会」を創りたいと思っています。

これが、僕の目指す理想の世界です。

理想と現実の狭間での葛藤

しかし、現実はそう簡単ではありません。

メタファーの主人公が直面したように、現実にも依存心が強く、何でもかんでも人のせいにする「他責思考」の人は存在します。

Example

特に現代のインターネット社会では、そうした心の「醜さ」が可視化されやすいです。

心の醜い人々を目の当たりにしたとき、黒い感情が湧き上がることは、誰しも経験があると思います。

「こんな人たちいなくなればいいのに…あの人たちが変わればいいのに…」と。

本音を言えば、僕も日々の生活の中で、絶望を感じたり、嫌気が差すことはあります。

でも、僕は思うのです。

その思考こそが、自分が相手を思い通りにコントロールしようとしている「独裁の罠」であり、ルイと同じ過ちを犯しているのだと。

それでも「善」を貫く

真に理想の社会を創りたいと思うなら、主人公のように善を貫くことです。

僕が人生の軸としている、「インサイド・アウト」という考え方です。

本当の変化とは、他者からの強制ではなく、その人の内側から自発的に湧き上がるものです。

だから、どれだけ泥臭くても、まずは自分自身が「目的」と「手段」の両方で善を信じ、プロセスを貫き通す姿を見せること。

その「光景」を見せることこそが、言葉以上に雄弁な教育になります。

Point

たとえ歩みは小さくとも、志を同じくする者たちと手を取り合い、その輪を広げていく。

そんな僕たちの姿を見て、「自分も変わりたい」と自発的に立ち上がる人が、一人、また一人と現れるのを信じて待つ。

この、「自ら行動を起こしながら、他者の自発的な変化を信じて待つ」という善を貫くことが、少しずつ社会を良くしていくのだと、僕は学びました。

まとめ

真のリーダーとは、力や恐怖で世界を正そうとする者ではありません。

自らが「善なるプロセス」を体現し、他者に影響を与え、相手の内側から生まれる自発的な変化を信じ抜くこと。

これこそが、僕がこの作品から受け取った、真のリーダーのあり方です。

「メタファー:リファンタジオ」という作品は、僕たちにその覚悟を問いかけているような気がしてなりません。

僕もそんな良きリーダーになれるよう、日々活動していきたいと思います。

次の記事では、メタファーの物語から学んだストーリーの影響力について解説しています。

合わせてご覧いただけると嬉しいです^^