自分で事業をしていると、よく「ゴールからの逆算」を意識します。
目標を設定し、それを達成するために行動を決めるのは、ビジネスの鉄則ですよね。
では、これを「人生」という最も大きな枠組みで考えたとき、本当の最終ゴールは一体どこになるでしょうか。
僕が行き着いた答えは、「命が尽きる瞬間」です。
もっと厳密に言うなら、「命が尽きる瞬間に、自分が何を思うか」です。
今日は、なぜ僕が「終わりを思い描くこと」を意識して生きているのか。
そして、それが今の行動にどう繋がっているのかを、過去の苦い経験も交えながらお話しします。
ゴールを明確にすることの重要性
人生とは、よく長い旅やマラソンに例えられます。
明確なゴールが決まっていなければ、途中で迷いが生じ、どこに向かって進めば良いのか分からなくなってしまいます。
それにも関わらず、昔の僕は「人生の最後にどうありたいか」という本質的なゴールを、真剣に考えたことがありませんでした。
ビジネスの目標設定はしていましたが、それはせいぜい数ヶ月先や数年先のゴールです。
だから当時は、目の前にある仕事を必死に消化することだけに追われ、気づけば一日が過ぎ去っていくような日もありました。
真の目的地を知らないまま、ただ全力で足を動かしているだけのような状態です。
一方、今の僕は、「命が尽きる瞬間に、自分がどうありたいか」という、明確な最終ゴールが決まっています。
この、人生の終着点という最大のゴールが決まったからこそ、僕は一日一日を本当の意味で大切に生きられるようになりました。
日常の中で何かを選択を迫られたときも、「この決断は、自分が理想とする最期に近づく選択だろうか?」と、問いかけられるからです。
「最終的なゴールに向かうために、いま自分が何をすべきか?」
その明確な指針ができたおかげで、僕は迷いなく人生の終着点に向かって歩めるようになったのです。
命が尽きる瞬間をゴールに設定する理由
理由はとてもシンプルです。
誰もが必ず辿り着く終着点だから。
そして、その終着点を迎えてしまったら、もう二度と人生の挽回はできません。
これって、すごく重要なことだと思います。
仮に人生の最後に「後悔だらけの人生だったな…」と強い悔いが残ったとしても、時計の針を巻き戻すことは不可能です。
取り返しのつかない後悔を抱えて、天国へ旅立つことになってしまいます^^;
それはいわば、映画のバッドエンドのようなもの。
一方で、最後の瞬間に「ああ、本当に良い人生だったな」と心から思えたなら、人はきっと穏やかで幸せな気持ちで旅立てるはずです。
だからこそ、命が尽きる瞬間から逆算して、今の人生を生きる。
これ以上に重要な目標設定は、他にないと思うわけです。
世界的ベストセラーである「7つの習慣」の中にも、「終わりを思い描くことから始める」という有名な原則が紹介されています。
僕の恩師にも、「どんな最期を迎えたいかは、思い描いておいた方が良い」と教わりました。
豊かな人生も、ビジネスの成功も、すべては「終着点」を明確にすることから始まるのだと、僕は確信しています。
僕が思い描く理想の旅立ち
僕にとっての理想の旅立ちとは、「次の世代により多くのものを残せた」「社会にこれだけの価値を与えられた」と実感して目を閉じることです。
もちろん、できるだけ長い時間を愛する妻と過ごし、多くの思い出を作ることも大切だと感じています。
でも、自分が得たものは、どれも天国には持っていけません。
どんなに大金を稼いでも、どんなに贅沢をしても、どんなに良い思い出を作っても、命が尽きれば自分の手元には何一つ残らないのです。
だからこそ、僕が行き着いた「良い人生」の答えはこうなりました。
世の中により多くの価値を提供すること。
自分が得ることよりも、社会に残すことの方が重要度が高い。
関連記事:多くを求めるよりも、多くを与える人生を。
自分がこの世を去った後も、誰かの心に残り続けるものや、誰かの役に立ち続けるもの。
それをたくさん残せたとき、僕は初めて「誇り高き人生だった」と言える気がするのです。
たとえば、僕は事業の一環として、ブログの執筆や書籍の出版などをしています。
僕が書いた文章が誰かの心に響き、その人の行動が良い方向へと変われば、それは巡り巡って社会へと還元されていきます。
僕がこの世から去った後も、価値がこの世界を循環し続けるわけです。
今あなたが読んでくれているこの記事だって、社会に与えられる価値の一つになれば嬉しいなと思っています。
そんな風に、「価値のバトン」を次世代へ繋いでいくこと。
それこそが僕にとっての究極のゴールであり、僕が生きた証になるのだと気づきました。
だから僕は、愛する妻とたくさんの思い出を作ることは当然として、社会へ価値を提供し続け、次世代に多くを残せる人生を送りたいのです。
虚しさを感じた20代の話
今でこそこんな風に「社会貢献」を語っていますが、昔からこんな風に考えられていたわけではありません。
20代の頃の僕は、もっとギラついていました 笑
とにかく良い生活がしたいし、周りの人たちから評価もされたい。
そんな私利私欲と自己顕示欲の塊のようになって、自分のためだけに必死で事業に取り組んでいた時期があります。
その結果、事業は軌道に乗り、代表取締役という肩書きを得て、ある程度のお金も得られました。
では、それで幸せになれたかというと、全く幸せではなかったのです。
待っていたのは、猛烈な虚しさのみ。
いくら器にお水を注いでも、底に大きな穴が空いているかのように、一向に心が潤うことはありませんでした。
そのときにようやく気づきました。
肩書きやお金そのものに価値はなく、それを使って「何を成し遂げるか」にこそ真の価値があるのだと。
自分のために使うよりも、社会のために使うことの方が、はるかに価値が高いのです。
自分を満たしたいから社会へ貢献するのではなく、社会へ貢献するからこそ自分が満たされるのだと、深く腑に落ちた瞬間でした。
そこから、人生のベクトルを180度シフトしました。
・「自分のため」ではなく、「世のため人のため」に生きる。
・「求める」のではなく、「与える」人生を生きる。
そう決断して生きるようになってからは、圧倒的に心が充実し、毎日が楽しくなったのです。
ゴールが決まると今の行動が決まる
人生の最終ゴールが「社会により多くのものを残して目を閉じること」と決まると、今の行動も決まります。
多くを与えられる人間になりたいのなら、社会に価値を提供し続けることはもちろん、人としての器を磨き続ける必要があるのです。
僕は以前、会社のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を設定しました。
「自分が社会に提供できる価値は何か?」「自分はどんな理想社会を実現できるのか?」「自分の能力や才能をどう活かせるか?」を徹底的に考え抜き、事業の方向性を決めました。
すると、事業の取り組み姿勢もガラリと変わります。
たとえば、事業で大きな売り上げが上がったとき。
それを「自分の欲求を満たすため」に使うのではなく、「より多くの人を豊かにするため」「社会に還元するため」へ使うようになります。
なぜなら、自分の欲求を満たすためだけにお金を使うことは、僕が理想とする最終ゴールからは遠ざかる行為だからです。
それよりも、愛する妻と旅行へ行きビジネスの活力にしたり、頭で思い描いたアイデアを形にすることにお金を使った方が、理想とする最終ゴールへ近づけます。
要は、お金の使い方の「抽象度」が上がるのです。
そして、理想の最終ゴールを目指すためには、誠実であったり、寛容であったり、努力家であったり、僕自身が人格者である必要があります。
だから、より高い価値を提供できる自分になるために、本を読み、恩師から学び、人格を磨くための勉学を重ねるようになりました。
このように命が尽きる瞬間から逆算していくと、「いま何をすれば良いのか?」「どんな人間を目指せば良いのか?」が、明確になっていくのです。
人生はゴールに向かって進むゲームである
思い返すと、僕は子どもの頃からRPGが大好きでした。
世界平和などの最終ゴールから逆算して、レベルを上げたり、戦略を練ったり、試行錯誤しながら冒険するのが最高に楽しかったからです。
実は「人生」もそれと全く同じで、究極の「ゲーム」だと思っています。
僕の場合は、「社会により多くのものを残して目を閉じること」という最終ゴールに向かって、日々試行錯誤しながら冒険している感覚です。
会社を設立してからは、ゲームをプレイする時間が大幅に減りました。
でもそれは、ゲームに飽きたからではなく、人生そのものがゲームとして楽しすぎるからです。
架空の世界を旅するよりも、現実の世界を旅する方が、ずっと面白くて価値があると思うようになりました。
これまで散々カッコいいことを書いてきましたが、結局のところ、僕はただ壮大で楽しい「ゲーム」をプレイしているに過ぎません 笑
人生の最後に、「最高に楽しい物語だったな」と言って、最高のエンディングを迎えるために。
まとめ
これからの選択も、行動も、すべては命が尽きる瞬間の自分が誇れるものであるようにしていきたいです。
僕の目指す終着点とは、社会により多くのものを残し、心から誇れる人生だったと思い、目を閉じること。
そんなゴールを目指して、今日も僕は歩みを進めていきます^^




