情報発信の本質は「顧客の教育」です。
しかし、ここで多くの発信者が陥る罠があります。
それは、「どれだけ努力をしても、絶対に話が通じない層」にエネルギーを使ってしまうことです。
そのためには、「パラダイム」と「視座」の違いを理解する必要があります。
「パラダイム」の違い

情報発信をする上でぶつかるのが、自分と「パラダイム」が違う人の存在です。
パラダイムとは、その人が持つ「ものの見方」や「価値観の枠組み」のこと。
例えば、ファイナンシャルプランナー(FP)の方がいたとしましょう。
| FPのお金に対する見方 | 顧客のお金に対する見方 |
|---|---|
| 人生や社会を豊かにするための手段である。 | 不安を埋めて欲を満たすための依存先である。 |
この場合、「不安を埋めて欲を満たすための依存先である」という顧客のパラダイムを、「人生や社会を豊かにするための手段である」というパラダイムへシフトさせる必要があります。
そうでなければ、お客さんはお金に支配をされた人生を送ってしまうからです。
このように、ものの見方が大きく変わることを「パラダイム・シフト」と呼びます。
お客さんを理想の未来へと導くためには、パラダイム・シフトが必要。
そして、パラダイム・シフトを起こすためには、情報発信における教育が必要というわけです。
自分と相手のパラダイムの違い自体は、教育の障害にはなりません。
むしろ、パラダイムが違うからこそ、教える意味があります。
「視座」の違い

教育の障害になるのは、「視座」の違いです。
視座とは、物事を見る位置の高さのこと。

視座の高さは、他者への理解力を大きく左右します。
例えば、こちらの絵をご覧ください。

有名な隠し絵「妻と義母」です。
この絵を、「奥を向いた若い女性」と捉える人もいれば、「横を向いたお婆さん」と捉える人もいます。


これも一種の、「パラダイムの違い」と言えます。
パラダイムの違いに、視座の要素が加わるとどうなるでしょうか?
| 視座の高い人 | 視座の低い人 |
|---|---|
| 物事を俯瞰し、他者の見方を想像できる。 例.「自分にはお婆さんに見えるけど、周りの人は若い女性に見えるらしい。一体どういうことだろう?」 | 自分の見方こそが、世界のすべてだと思い込む。 例.「どう考えてもお婆さんにしか見えない!若い女性に見えると言っている人は、きっと嘘つきに違いない!」 |
「お婆さん」にしか見えていない低視座の人に対して、若い女性の「首飾りの美しさ」を説明しても、まず理解してもらえません。
相手にはお婆さんの「口のシワ」にしか見えておらず、「君は嘘を言っている!」と反論してきます。
教育もこれと同じです。
「お金は不安を埋めて欲を満たすための依存先である」と信じ込み、周りの意見すら聞かないような人に対して、「お金は人生や社会を豊かにするための手段である」と説明しても、まず理解されません。
「そんな考え方はただの偽善だ!」と反論してくる人もいるでしょう。
つまり、その人たちにあなたのエネルギーを使うのは、避けた方がいいということです。
話し合っても分かり合えない人はいる

よく「話し合えばきっと分かり合える」と言う人がいますが、それは半分正解で、半分間違いです。
正しくは、「話し合って分かり合える人もいれば、分かり合えない人もいる」です。
そもそも、人はみんなパラダイムが違うので、「分かり合えないのが当然」と思っておく方が、ずっと楽に生きられます。
「話し合えばきっと分かり合える」と信じ込んでいる、パラダイムが異なる者同士がぶつかり合うと、悲惨なことになります。

そこにあるのは対話ではなく、ただの不毛な「正義の押し付け合い」です^^;
話は平行線を辿り、永遠に交わることはありません。
だから僕はいつも、

ユウキ
人はみんなパラダイムが違うから、他者は僕の考え方を一切理解しないだろう。
もし理解を示してくれたならば、それはラッキーなだけだな。
という前提で情報発信をしています。
自分自身の視座を高めること

情報発信する上で大切なのは、自分自身の視座を高めることです。
そうすると、パラダイムが違う人の気持ちも理解できるようになります。
例えば、世の中には他責思考の人がいます。
僕は10代の頃、その人たちの気持ちが全く理解できませんでした。

ユウキ
なぜこの人は、自分の責任を周りに押し付けているんだろう…。
なぜこの人は、自分の見方に問題があると思わないんだろう…。
なぜこの人は、自分の思考を変えようと考えないんだろう…。
でも、20代、30代と、歳を重ねていくうちに僕は気づきました。
「自分と他責思考の人たちは、見ている世界が全く違うんだ」と。

ユウキ
他責思考の人たちは、歪んだ教育の影響で、自己肯定感が低く育ってしまったのかもしれない。
だから、周りに責任を押し付けることで、自分の弱さから目を背けているんだ。
相手のパラダイムに賛同はできないけど、そこに至るまでの背景や気持ちは理解できるぞ。
ここで重要なのは、「同意すること」と「理解すること」は全くの別物であるということです。
自分の責任を周りに押し付けたり、他者を責めるような姿勢に、同意はできません。
しかし、そのパラダイムに至るまでの背景や気持ちは、構造的に理解できるということです。
視座を高めると、「この人とは見ている世界が違うから、無理に関わらないでおこう」と、冷静に線引きできるようになります。
まとめ

教育ができる人は、パラダイムが違っても、視座を高められる人。
教育が難しい人は、パラダイムが異なり、視座も高められない人。
あなたのパラダイムに共鳴し、視座を高められる人を大切にしましょう。
この考え方が、心地良い人間関係を築くための情報発信のコツです^^




