僕は、「人に期待せず、人の期待に応えない」という人生観で生きています。
学びと経験を重ね、自分の頭で考え抜いた結果、それが最も社会に良い影響を与え、人生の幸福度を高める生き方だと気付いたからです。
この生き方を意識してから、人間関係は驚くほど良好になり、精神的にも安定し、事業も軌道に乗りました。
僕の妻、尊敬している恩師、仲の良い仕事仲間、相性の合うクライアントさんは、みんなこの考え方で生きています。
逆に、「人に期待して、人の期待に応える」という生き方で上手くいっている人を、僕は一人も見たことがありません。
実際、妻は昔、親の期待に応えようと無理をし続け、精神的に病んでいた時期がありました^^;
そこで今回は、「人に期待せず、人の期待に応えない」という、人生の質を高める生き方についてお話しします。
期待とは何か?

愛犬ムース
今日も賢くなるぞ。
犬のボクにもわかるように説明してくれ。

ユウキ
まず、期待とは自分の欲望のことだよ。
・自分の思い通りに動いてくれるだろう
・自分の気持ちに応えてくれるだろう
・自分に優しく接してくれるだろう
・自分の考え方を理解してくれるだろう
・自分のために行動してくれるだろう
なぜ、人に期待せず、人の期待に応えない方が良いのか?

愛犬ムース
どうして人に期待をしたり、期待に応えない方が良いの?

ユウキ
簡単に言えば、人間関係が良好になり、生きやすくなるんだ。
「人に期待しない」「人の期待に応えない」の2つに分けて説明するね。
人に期待しない方が良い理由
人に期待すると、「怒り」「悲しみ」「落胆」「失望」などネガティブな感情が生まれ、人間関係が悪化します。
例えば、僕と妻は、仕事は僕、家事は妻と、役割分担をしています。
仮に妻が朝寝坊をしてしまい、朝食を作れなかったとしましょう。
その場合、僕はこう言います。

ユウキ
いつもありがとう。
今日は俺が朝食を作るから、ゆっくり寝てて。
妻が朝時間通りに起きるとは期待していませんし、妻が料理を作るのが当たり前だとも思っていないからです。
役割分担はしていますが、できないときは僕がやります。
もし僕が妻に期待をした場合、きっとこんな状態になるでしょう。

ユウキ
妻が寝坊して、朝食を作ってくれなかった!
最悪の朝だ!
これは、「僕が楽な朝を迎えられるように、期待通りの動きをしてくれ」という、自分勝手な欲望に溢れています。
自分が勝手に期待しただけなのに、さも相手が悪いかのように不満を感じるのです。
大前提として、自分のことは自分でやるのが大人です。
本来、自分で朝食を作るところを、妻に代わりに作ってもらっています。
だから、朝食を作ってもらったことに感謝するのは当然ですが、朝食を作ってもらえなかったことに不満を抱くのはおかしいのです。

愛犬ムース
人に期待する人間は、ネガティブな感情に支配され、マイナスな言葉ばかりが出てくるのか。
そうなると、「この人と一緒にいると嫌な気分になるな…」となって、周りから人が離れていくよね。

ユウキ
うん。
僕は期待値の高い人がいたら、できるだけ関わらないようにするよ 笑
「期待している自分が悪いな…」と自覚していたり、「こう動いてほしかったけど仕方ない…」と心に留めておくだけの人はまだ良いです。
問題なのは、期待している自分に問題があると自覚せず、「自分の思い通りに動いてもらって当然だ」と、周りに期待を押し付ける人です。
例えば、僕が会社員をしていた頃、お酌をしないと怒る先輩がいました。
これは、「お酌をして自分の気分をよくしてほしい」という欲望の表れですね。
人のための行為は自発的にやるものであり、強要された時点で人からの支配になります。
この先輩は、後輩に期待している自分に問題があるとは自覚していません。
自分の期待が満たされないため、「怒る」という行為で、周囲の人間を自分の思い通りに動かそうとしているのです。
期待通りの動きをしないと、すぐに怒る先輩だったので、みんないつも気を遣っていました^^;

愛犬ムース
大人なのに、まるで駄々をこねている子どものようだね。

ユウキ
まさにその通りだね。
実は、期待する人の多くは、自己肯定感が低い傾向があるんだ。
・自分で自分を満たせないから、他者に満たしてもらおうと期待してしまう。
・自分に完璧さを求めるあまり、他者にも完璧であることを期待してしまう。
こういう人は、良好な人間関係を築きづらいです。
そのため、ビジネスもプライベートも上手くいかず、自己肯定感がさらに下がるという、悪循環に陥ります^^;

愛犬ムース
期待を手放す。
それだけで人生が豊かになるのにね。

ユウキ
うん。
意外と気づかない人が多いのかもしれないね。
僕は自分にも他者にも、1ミリも期待を抱きません。
自分は人に優しくするけど、人は自分に優しくしてくれないと思って生きています。
極端な例ですが、僕は人に挨拶をしたときも、「挨拶が返ってくる」とは期待しません。
「挨拶を返す」という行為は、相手が自分に対して時間を使ってくれることだからです。
それにも関わらず「挨拶が返ってきて当たり前」と思うのは、自分勝手な欲望に過ぎません。
だからこそ、「挨拶を返してくれた」という些細な行為に対して、めちゃくちゃ感謝ができるのです。
期待を手放すと、人に感謝することが増え、「ありがとう」という言葉が口からたくさん出てきます。
僕が良好な人間関係を築けているのは、間違いなく人への感謝が溢れているからです。
関連記事:「ありがとう」という言葉は本気で世界を平和にすると思う

愛犬ムース
「人は挨拶を返してくれるはず」「店員さんは笑顔で接客してくれるはず」「先輩は優しく指導してくれるはず」
こんなふうに、世の中には小さな期待が溢れていますな。

ユウキ
そうだね。
僕は挨拶を返すし、笑顔で接するし、優しく指導する。
けれど、同じように他者に期待するのは欲深いよね。
そのため、僕は人に期待を抱いた瞬間、自分の人格が未熟だと考えます。
人への期待とは、相手から何かを貰おうとする行為だからです。
・自分に優しくしてほしい→優しさを貰おうとする
・自分の気持ちを察してほしい→気遣いを貰おうとする
・自分を認めてほしい→承認を貰おうとする
「与えること」よりも「受け取ること」を優先する人を、テイカーと呼びます。
人に期待ばかりして、期待に応えてもらえないと不機嫌になるような人ですね。
一緒にいるとエネルギーを吸い取られるので、この層への商品・サービスの提供は、意地でも阻止します 笑
一方で、「受け取ること」よりも「与えること」を優先する人を、ギバーと呼びます。
人に期待せず、常に世のため人のために行動するような人ですね。
僕はギバーの人間であろうと心がけているので、人に何を与えられるかを考えます。
・どうすれば相手が喜ぶか?→喜びを与えようとする
・どうすれば相手が笑顔になれるか?→温かさを与えようとする
・どうすれば相手が成長できるか?→気づきを与えようとする
自分がギバーでいると、周りにもギバーの人たちが集まってくるので、すごく心地が良いです^^
期待を手放し、周りに与えようとする人が増えれば、社会は今よりもずっと豊かになると思っています。
人の期待に応えない方が良い理由
僕は人に期待しませんが、中には僕に期待してくる人もいます。
はっきり言いますが、僕はその人たちの期待には応えません 笑
なぜなら、人の期待に応えると、自分の人生を生きられないからです。
よくあるのが、子どもが親の期待に応えようとするパターンです。

親
有名大学に入って、大手企業に就職してほしい!
もしも子どもが、歌手になる夢を持っていたとしましょう。
親の期待に応える場合、夢を諦め、大手企業に就職することになります。
でもそれは、 自分の人生ではなく、親の人生を生きているだけですよね?
僕からしてみると、その人生は有益ではありません。
他にもよくあるのは、部下が上司の期待に応えようとするパターンです。

上司
君の活躍に期待しているよ。
仕事の本質は、 上司の期待に応えることではなく、お客さんに価値を提供し、幸せにすることです。
お客さんを幸せにしようと良い仕事をした結果、たまたま上司の期待に応えることはあるかもしれません。
でも、「上司の期待に応えるために努力する」というのは、仕事の目的が入れ替わっています。
そうなると、仕事は社会貢献ではなく、評価されるための作業になってしまうのです。

愛犬ムース
期待に応えようとする人の多くは、他者からの評価を気にする傾向があるよね。

ユウキ
やはり根本にあるのは、自己肯定感の低さだろうね。
自分で自分を認められないから、他者からの評価で安心を得ようとするんだ。
・他者から認められないと不安になる
・期待に応えられないと自分を責める
・人に嫌われないように行動し始める
僕はそんな人たちに問いたいです。
「あなたは一生、人の期待に応え続ける人生を送るのですか?」
それはつまり、他者に人生のハンドルを握られている状態。
人の機嫌や顔色を伺い続ける、自由のない人生です。
僕は、他者からの評価や、他者から認められるかどうかなんて、どうでも良いと思っています。
自分で自分を客観的に評価できますし、自分の良さは誰よりも僕自身がわかっているからです。
もしも「あなたは期待外れだった」と言われても、「この人は他者に期待を押し付ける未熟な人間なんだな」としか思いません。
(もちろん、心の中で思うだけで、口には出さないです 笑)
「自分をどう評価するのか?」「自分を認めてくれるのか?」というのは他者の指標に過ぎません。
他者の尺度で生きている限り、一生、自分の人生のハンドルを握れないのです。

愛犬ムース
でもさ、期待に応えられなければ、人から嫌われるよね?

ユウキ
そもそも、「人から嫌われたくない」という考え方が有益ではないよ。
「人から嫌われても良い」という考え方を持った方が有益なんだ。
多分、僕とこれまで関わった人の中で、僕のことを嫌いな人は大勢います。
特に、僕は人の期待に応えようとしないので、期待を押し付けてくる人からは嫌われやすいです。
振り返ってみれば、テイカー気質の人からはことごとく嫌われてきました 笑
でも、僕からしてみると、嫌ってくれた方が好都合なんです。
期待を押し付けてくる人とは、言い換えれば、自分の欲望を他者に満たしてもらおうとする、自分本位な人のこと。
主体性がなく、依存心があり、他責思考の傾向が強いです。
僕も過去にそういう人と関わったことがありますが、とてつもないエネルギーを消耗しました^^;
期待を満たせば喜んでくれるが、期待を満たせられなければ不満を言われる。
期待を押し付ける人間にとって、期待を満たしてくれる人間とは、都合が良いだけの存在です。
そんな自己中心的な人間から好かれたところで、ただエネルギーを吸い取られるだけ。
だから、僕を嫌って距離を置いてもらった方がありがたいのです。
おそらくこの記事を読んでいる人の中にも、僕の生き方には共感できず、嫌いになる人もいると思います。
共感できない人にはどんどん離れてもらいたいので、まったく問題ありません。
「人に期待せず、人の期待に応えない」という生き方を実現している人や、「自分もこうありたい」と目指そうとする人だけが残ってくれれば、それで良いのです。
実際、僕の周りには主体性のあるギバーの仲間たちが集まり、主体性のないテイカーの人たちは自然と離れていきます。
僕はよく人生観や価値観を発信していますが、それはある意味では、嫌われるために発信しているとも言えます 笑

愛犬ムース
期待に応えないのが有益な人生であることはわかったよ。
でも、ビジネスをする以上は、お客さんの期待には応えるために努力するよね?

ユウキ
いや、お客さんの期待に応えようと努力するのは適切ではないよ。
ビジネスの本質とは、「お客さんの期待に応えること」ではなく、「お客さんを理想の未来へ導くこと」です。
例えば、僕はWebマーケティングのコンサルティングを提供しています。
クライアントさんを理想の未来へ導くためには、自分の頭で考え、自分で行動するという、主体性が必要不可欠です。
だから僕は、クライアントさんが主体となるよう、下記の流れでサポートしています。
まずは必要なやり方を伝え、クライアントさんに行動してもらう。
わからないことや相談したいことがあれば、その都度連絡をもらう。
添削の際には、答えを教えるのではなく、改善点を伝える。
クライアントさんに考えてもらい、自分で答えに辿り着けるように導く。
関連記事:「魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ」という僕の価値観
クライアントさんの中には、「私は指示が欲しいので、ユウキさんから積極的に連絡をしていただき、手取り足取り教えてください!」と期待する人もいるかもしれません。
厳しい言い方をしますが、僕はその期待には応えません。
もしも期待に応え、1から10までをすべて先回りして教えてしまうと、「自分が行動しないでも、この人は全て丁寧に教えてくれる」と、主体性を削いでしまう可能性があるからです。
それは僕を頼っているのではなく、僕に依存している状態と言えます。
仮に結果が出たとしても、主体性が削がれているので、コンサルティング終了後は結果を維持できません。
その状態は、クライアントさんにとって理想の未来とは言えないでしょう。
お客さんの期待に応えるために努力するのではなく、お客さんを理想の未来へ導くために努力する。
これが、ビジネスのあり方なのです。
様々なパターンで確認してみる

愛犬ムース
「人に期待せず、人の期待に応えない」
なかなか有益な生き方ですな。

ユウキ
「期待すること」と「期待に応えること」を、次の3つのパターンで見てみよう!
・親と子ども
・彼氏と彼女
・コンサルタントとクライアント
親と子ども
| 親 | 子ども | |
|---|---|---|
| 期待をする | 老後の面倒を見てもらおうと期待する | 成人を過ぎても養ってもらおうと期待する |
| 期待に応える | 期待に応え、成人を過ぎても養おうとする | 期待に応え、老後の面倒を見ようとする |
よくあるのが、親が子どもに老後の面倒を見てもらおうと期待するパターンです。
親は自分の意思で子どもを産んだので、子どもが成人するまでは養育の義務があります。
しかし、子どもは親の面倒を見る義務はありません。
僕は自分のできる範囲で親を助けるつもりですが、それは親が尊敬できる人たちだからです。
愛情を持って育ててくれましたし、僕の生き方や価値観を尊重してくれました。
もしも、「ここまで育てたんだから、老後の面倒を見るのが当たり前だからね!」と期待を押し付けてくるような親であれば、距離を置きます。
親孝行は自発的にやる行為であり、強要されるものではないからです。
一方で、成人後も親に養ってもらおうと、子どもが期待するパターンもあります。
養育の義務は果たしているので、成人を過ぎたら養う必要はありません。
当然、親子の関係によっては助け合うこともあります。
しかし、義務として押し付けられるものではないということです。
妻はずっと親から過剰な期待を押し付けられており、一時期、「わたしは何のために生まれてきたんだろう…」と精神を病みました。
僕は妻に、「もう親の期待には応えなくて良い。これから先は、自分の人生を生きてほしい」と伝え、ようやく自立する決心をつけました。
今は親と適度な距離を保ち、人の期待には応えない人生を歩んでいます。
彼氏と彼女
| 彼氏 | 彼女 | |
|---|---|---|
| 期待をする | 清楚系の女性になってもらおうと期待する | お金持ちの男性になってほしいと期待をする |
| 期待に応える | 期待に応え、お金持ちの男性になろうとする | 期待に応え、清楚系の女性になろうとする |
清楚系の女性になってほしいなら、最初から清楚系の女性と付き合えば良いです。
「彼に好かれたくて…」と期待に応えようとする女性もいます。
そうなると、一生彼氏の期待に応え続けることになります。
自分の人生を彼氏がコントロールすることになるので、心が疲れてしまうでしょうね。
ありのままの自分を愛してくれる男性と付き合う方が、幸せになれる可能性は高いです。
また、「お金持ちの男性になってほしい」と期待する人もいます。
他者の人生はコントールできないので、自分自身でお金持ちを目指した方が有益です。
どうしてもお金持ちの男性と付き合いたいなら、お金持ちの男性から言い寄られるぐらい魅力的な自分になること。
その上で、最初からお金持ちの男性と付き合えば良いです。
彼氏も、期待に応えられずに苦しむならば、別れて他の女性と付き合った方が幸せでしょう。
よくある「初デートで◯◯はアリか?」「プレゼントで◯◯はアリか?」という話。
僕は、相手が選んでくれたのであれば、初デートの場所がコンビニでも、プレゼントがダイソーのイヤホンでも喜びます 笑
自分のことを想い、お金や時間を使って選んでくれたのであれば、その行為自体が贈り物だからです。
それにも関わらず、「この場所は嫌だった…」「もっと良いものが欲しかった…」と不満を感じるのは、期待の表れです。
もしも不満を感じた場合、「相手に期待を抱いている自分の内面に問題がある」と、人間性を改めます。
そもそも、好きな人と一緒なら何をしていても楽しいですし、何をもらっても嬉しいです^^
コンサルタントとクライアント
| コンサルタント | クライアント | |
|---|---|---|
| 期待をする | 行動してくれるだろうと期待する | 自分の人生を変えてくれるだろうと期待する |
| 期待に応える | 期待に応え、相手の人生を変えようとする | 期待に応え、行動しようとする |
よくあるのが、コンサルタントが「クライアントが行動してくれるだろう」と期待してしまうケースです。
僕はBtoB(対事業者)がメインなので、行動力や継続力のある方が圧倒的に多いですが、全体で見ると稀だと思います。
だから、行動してくれるだろうと期待するのではなく、行動できるようにサポートすることが大切です。
クライアントも、コンサルタントの期待に応えて行動する必要はありません。
重要なのは、自分が決めた目標を達成するために行動することです。
期待に応えるための行動とは、「認められるために努力しよう!」という、承認欲求に基づいています。
他者評価が基準で、認められなければ意味がなくなるので、有益な生き方ではありません。
そもそも、僕は自分に期待を抱いてくるようなコンサルタントとは関わりません 笑
一方で大きな問題は、クライアントがコンサルタントに期待を抱く場合です。
僕は主体性のある方としか関わらないので、期待を抱く人はほとんどいません。
しかし、世の中には「私の人生を変えてくれるだろう」「相手から連絡をくれるだろう」「言わなくてもやってくれるだろう」と期待を抱くクライアントもいます。
こうした期待にコンサルタントが応えてしまうと、クライアントの主体性が削がれ、成長も止まり、目標達成の可能性が著しく下がります。
そして、コンサルタントはクライアントにエネルギーを吸い取られ、精神的に疲弊してしまいます。
コンサルタントの仕事は、クライアントの期待に応えることではなく、クライアントを理想の未来へ導くことです。
そのため、クライアントの期待には応えずに、「コンサルティングとは、あなたが主体です。あなたが行動を起こし、あなたが自分で人生を変える必要があります。私ができるのは、そのサポートをすることです」と明確に伝え、理想の未来へと導く必要があります。
結果として期待に応えることはあるかもしれませんが、期待に応えようと努力するのは適切ではありません。
僕は、クライアントさんが行動しやすいよう、モチベーションを高めるようなサポートを意識しています。
しかし、それはあくまで僕が自主的に行っているサポートです。
クライアント側が、「ユウキさんはきっと、自分のモチベーションを上げてくれるはず!」「自分が行動できるようにサポートするのも、ユウキさんの役目だ!」と期待するのは、単なる依存です。
・コンサルタントはクライアントに期待せず、クライアントはコンサルタントに期待しない。
・コンサルタントはクライアントの期待を背負わず、クライアントはコンサルタントの期待を背負わない。
このように、相互に主体性を持ち、依存しない関係性を保つことが、健全なコンサルティングの土台になります。
自分の頭で考えることが大切である

愛犬ムース
有益で合理的な生き方だと思うけど、この生き方をしている人ってほとんどいないよね?

ユウキ
僕の周りには多いけど、世間から見たら少数派だろうね。
自分の頭で考えず、感情のまま生きている人もたくさんいるから 笑
僕がそれを特に実感したのは、20代の頃です。
起業したばかりの僕は、ブログの運営方法を学ぼうと、専門家の方からコンサルティングを受けました。
疑問点は自分で調べ、試行錯誤しながら行動し、質問や相談があれば、すべて僕からコンサルタントの方へと連絡していました。
コンサルティングを上手く活用できるかどうかは、僕自身の問題だからです。
その結果、ブログ集客が上手くいき、現在も運営を続けています。
のちにコンサルタントの方から聞いたのですが、同時期にコンサルティングを受けていたクライアントさんの中には、次のような人たちもいたそうです。
・自分からは連絡せずに、「◯◯さんからもっと積極的に連絡がほしいです…」と、受け身の姿勢でいる人。
・コンサルティングが終わった後で、「◯◯の使い方を詳しく教えてほしかったです…」と、不満を述べる人。
・自分の頭では考えようとせずに、「◯◯さんから指示を出してください!」と、判断を委ねる人。
・本来は自分で取り組む作業を、「◯◯をやっておいてください!」と、コンサルタントに丸投げする人。
・依頼もしていないのに、「◯◯の添削は終わっていますよね?」と、やってもらって当たり前という考え方を持っている人。
いわゆる、テイカー気質の考え方ですね。
僕はそれを聞いて疑問でした。
・なぜ、コンサルタント側から連絡が来ると思っているのだろう?
・詳しく知りたいのなら、どうして自分から質問しないのだろう?
・なぜ、自分の頭で考えずに指示を待っているのだろう?
・自分で取り組む作業を、どうして人に丸投げしているのだろう?
・なぜ、人にやってもらって当たり前だと思っているのだろう?
「週に1回は私から連絡をします」「◯◯の使い方を教えます」「私からあなたへ指示を出します」「◯◯は私が代行します」「依頼がなくても勝手に添削します」という契約を交わしていたなら話は別です。
少なくとも、僕はコンサルタントとそんな契約は交わしていませんでした。
であれば、「相手から連絡をくれる」「相手が教えてくれる」「相手が指示を出してくれる」「相手がやってくれる」「相手から動いてくれる」と考えるのは、ただの欲望です。
厳しい言い方をしますが、他者に期待を抱いている時点で、良い結果は得られません。
それは他者に自分の人生を委ねている、主体性のない依存状態だからです。
実際、コンサルタントに期待を押し付けたクライアントさんは、誰一人として結果を出しませんでした。
理性的に考えれば、「他者に期待を抱いている自分の考え方に問題がある」と理解できます。
しかし、世の中には理性ではなく、感情だけで物事を捉えてしまう人がいます。
そうなると問題の本質を見失い、「自分の期待に応えてくれなかった!腹が立つ!これは相手の責任だ!」とズレた解釈をしてしまうのです。
小学生の流行語ランキング1位に輝いた、「それってあなたの感想ですよね?」とは、まさにこの状態を表しています。
僕は、どうせ生きるのであれば、有意義な人生を送りたいです。
そのため、どんな思考を持てば世の中が豊かになり、どういう生き方が有益であるかを、自分の頭で徹底的に考えます。

愛犬ムース
人に期待したり、人の期待に応えようとする人は、どんな考え方をすれば良いのかね?

ユウキ
特に大切なのは、次の2点だね。
・問題は自分の内にあると考える
・課題の分離を行う
問題は自分の内にあると考える
人に期待してしまう場合に、有効な考え方です。
「問題が自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である」
7つの習慣の著書「スティーブン・R・コヴィー」の言葉であり、僕の人生の指針です。
例えば、期待を裏切られて、ネガティブな感情がわいてきたとしましょう。
・なぜ気持ちをわかってくれないんだ!
・なぜ優しい言葉をかけてくれないんだ!
・なぜ言うことを聞いてくれないんだ!
・なぜこれをやっておいてくれないんだ!
・なぜこんな簡単なこともできないんだ!
・なぜ迷惑をかけるんだ!
・なぜ傷つくようなことを言うんだ!
・なぜ怒らせるような行動をとるんだ!
問題が自分の外にあると考える人は、相手に責任があると考え、相手を変えようとします。
・気持ちをわかってくれないあなたが悪いんだ!
・優しい言葉をかけてくれないあなたが悪いんだ!
・言うことを聞いてくれないあなたが悪いんだ!
・これをやっておいてくれないあなたが悪いんだ!
・こんな簡単なこともできないあなたが悪いんだ!
・迷惑をかけるあなたが悪いんだ!
・傷つくようなことを言ったあなたが悪いんだ!
・怒らせるような行動をとったあなたが悪いんだ!
しかし、相手を変えようとするのは原理原則に反しています。
変えられるのは自分だけです。
つまり、「問題が自分の外にある」と考えている、その思考にこそ問題があります。
極端な例ですが、「好きな人に告白して振られた…。自分の期待に応えてくれない相手が悪い!もっと自分を好きになるべきだ!」という考えを持つ人がいたら、「それは相手ではなく、あなた自身の問題です」と思いませんか?
期待に応えてもらえず、相手を変えようとするのは、これと同じ構造です。
「問題が自分の外にある」と考える人で、人生が上手くいっている人に、僕は会ったことがありません。
「問題は自分の内にある」と考えることが、自立した大人の思考です。
・「気持ちをわかってくれるはず」と期待した自分の思考が問題である。→人は自分の気持ちをわかってくれないもの。
・「優しい言葉をかけてくれるはず」と期待した自分の思考が問題である。→人は自分の望む言葉をかけてくれないもの。
・「言うことを聞いてくれるはず」と期待した自分の思考が問題である。→人は自分の言うことを聞いてくれないもの。
・「やっておいてくれるはず」と期待した自分の思考が問題である。→人は自分の思い通りに動いてくれないもの。
・「できて当たり前のはず」と期待した自分の思考が問題である。→人はできないのが当たり前である。
・「迷惑をかけないはず」と期待した自分の思考が問題である。→人はお互いに迷惑をかけ合って生きている。
・「傷つくようなことを言わないはず」と期待した自分の思考が問題である。→傷つくかどうかは自分の受け取り方で決まる。
・「怒らせるような行動をとらないはず」と期待した自分の思考が問題である。→怒りを感じるのは自分の人格が未熟な証拠。
変えるのは相手ではなく、自分の思考です。
僕は「問題は自分の内にある」と常に意識しているので、人に怒ることがありません。
怒りとは、多くの場合、自分の期待が裏切られたときに生じます。
怒っている人とは、「怒りで相手をコントロールしたい!」「怒りをぶつけてストレスを発散したい!」という、自分勝手な欲求を満たしているだけです。
やっていることは、駄々をこねている子どもと何ら変わりません。
だから僕は、怒りという感情を抱いた時点で、「まだ自分の内面が成熟しきれていない…」と捉えます。
こんなふうに、「問題は自分の内にある」と考えることで、圧倒的な主体性が身につきます。
たまに妻からは、「あなたは人間として次元が違う」と言われますが(笑)、こういう捉え方をした方が世の中は豊かになるはずです。
相手の成長を願って教育をする場合も、期待するのは避けた方が良いです。
たとえば、相手が歪んだ思考を持っていたり、道徳に反した行動をとっている場合には、教育を通して適切な方向へ導く必要があります。
この記事も教育の一種であり、「読んでくれた人の思考が成長し、より豊かな人生が送れますように…」という願いを込めて書きました。
しかし、相手の思考が変わるかどうかは、あくまで相手の問題であり、僕にはコントロールができません。
そのため、僕はいつも「相手は変えられない。もし変わったとしたら、それは相手の力である」という前提で教育しています。
課題の分離を行う
「問題は自分の内にある」とは言いましたが、「何でもかんでも自分の問題にしろ」という意味ではありません。
自分の思考の癖や他者への期待によって問題が生まれている場合は、確かに自分の内側を見直す必要があります。
しかし、世の中には自分ではコントロールできない「他者の課題」 も存在するのです。
ここを明確に線引きしないと、別の問題が起きてしまいます。
・他者の責任まで背負ってしまう
・他者の問題を自分の問題と捉えてしまう
・他者の期待に必死に応えようとしてしまう
そこで大切なのが 課題の分離です。
課題の分離とは、「自分の課題」と「相手の課題」を分けて考えること。
・自分の課題:自分でコントロールできること
・相手の課題:自分でコントロールできないこと
例えば、上司から重要な仕事を任されたとします。
しかし、期待に応えられるような結果を出せず、上司を怒らせてしまいました。
このとき、自分を責めてしまう人もいるかもしれません。

ユウキ
上司の期待に応えられなかった自分が悪い…。
自分のせいで相手を怒らせてしまった…。
しかし、課題の分離を行うと、見方が変わります。
| 自分の課題 | 上司の課題 |
|---|---|
| 「仕事に対して最大限の努力をしたか?」を振り返る。 「どこを改善すれば、次はより良い成果を出せるか?」を考える。 | 「部下が力を発揮できるよう、適切にサポートしたか?」を振り返る。 「部下にどんなフィードバックを与えるか?」を考える。 |
もしも上司が、「期待を押し付ける」「怒りで部下を支配しようとしている」という行動をとっているなら、それは上司自身の問題です。
だから、上司の期待や感情まで、自分が背負う必要はありません。

ユウキ
自分に期待したのは相手の選択だ。
怒るという感情を選んだのも相手の選択だ。
特に僕は感受性が強いので、相手の感情を必要以上に受け取ってしまうことがあります^^;
以前、主体性がなく、人への期待値が異常に高い、テイカー気質のお客さんに出会いました。
自分の期待が満たされないと不機嫌になり、他者に責任を押し付けようとします。
商品に関する不満の声もいただきましたが、内容のほとんどは相手自身の問題でした。
こんな状況こそ、課題の分離が役立ちます。
問題は相手の内面にあるので、僕が落ち込む必要はまったくありません。
むしろ、僕は相手が成長することを願い、内面の問題点に触れようかとも考えました。
しかし、テイカー気質の人は、「自分の考えは絶対に正しい!」と信じ込み、自分にとって不都合な情報は受け入れない傾向があります。
その場合、相手が逆上し、更に不満を述べてきたり、インターネットに悪評を書いたり、やり取りが泥沼化する可能性が高いです。
僕は自分の身を守る意味でも、表面上は「貴重なご意見をいただき、本当にありがとうございます。今後の参考にさせていただきます」と大人の対応をしつつ、内心では「これは相手の課題であり、自分が背負う問題ではない」と明確に線引きしました。
このときの僕の大きな課題は、主体性のないテイカーのお客さんに商品を提供してしまった点と、うまく教育ができなかった点です。
そのため、今はこの記事のように、人としてのあり方をたくさん発信するようになりました。
こうして自分と相手の課題を明確に切り分けることで、心の負担をグッと減らせるのです。
僕は、人が失敗したり、上手くできないことがあっても、寛容に受け止めます。
不機嫌になったり、怒ったり、責めることは絶対にありません。
誰でも失敗はしますし、できないことがあって当たり前だからです。
しかし、課題や責任を押し付けようとしてきた場合は、きっぱりと線を引きます。
僕が相手の課題や責任を背負ってしまえば、相手は依存し、成長しなくなるからです。
課題の分離で線引きを行うことで、健全な人間関係を築けます。
まとめ

愛犬ムース
「人に期待せず、人の期待に応えない」
これは、主体性を持って生きるための、基本となる考え方ですな!

ユウキ
まさにその通りだね。
反対に、「人に期待して、人の期待に応える」という考え方は、自分の人生を他者に委ねる、依存的な生き方と言えるだろうね。
人間は弱い生き物です。
誰かに期待を押し付けて責任を逃れたいのでしょうし、誰かの期待に応えて良い人間だと思われたいのでしょう。
でも、人に期待する人は、不満ばかりが口から出てくるので、周りから人が離れていきます。
誰かの期待に応えようとする人は、常に人の顔色を伺っているので、精神をすり減らしてしまいます。
僕から見れば、「人に期待して、人の期待に応える」という人は、自分の人生を生きていません。
僕は「どんな生き方をすれば社会が豊かになるのか?」を突き詰めて考え続けた結果、「人に期待せず、人の期待に応えない」という人生観に辿り着きました。
この記事を通して、他者に依存せず、自分の人生を生きようとする人が、ひとりでも増えたら嬉しく思います^^




