先日、僕の恩師がこんなことを言っていました。

恩師
世の中の9割以上の人たちは、感情を優先して生きている。
論理的に考えれば、人生はもっと上手くいくと思うんだけどね。
いわゆる、ロジカルシンキング(論理的思考)の重要性を説いています。
この言葉に、僕はものすっごく共感しました。
もちろん、僕も10代の頃は「感情」の波に揉まれて生きていました。
思い通りにいかないことにイライラしたり、人の言葉に傷ついたり、些細な失敗で深く落ち込んだり…。
けれど、20代で起業し、様々な経験を積む中で、あるシンプルな答えにたどり着いたんです。
それが、「物事は感情ではなく論理で考えた方が、自分も周りも圧倒的に幸せになれる」ということ。
こういう話をすると、「感情を排除するのですか?」と疑問を持たれますが、そうではありません。
感情を排除するのではなく、感情さえも一つの変数として計算に入れて、最適解を導き出すということです。
実はこの考え、僕の本業の「ライティング」にも全く同じことが言えます。
今回は、僕が常に意識している「感情と論理の心地よい付き合い方」について、ロジカルにお話しします 笑
怒りの正体は、他者への期待。
感情の代表格と言えば「怒り」です。
論理的に考えた場合、怒りほど非合理的なものはないと思っています。
そもそも、人はなぜ怒ってしまうのか?
その正体を突き詰めていくと、実は相手への「期待」にたどり着きます。
・相手はきっとこうしてくれるはず!
・普通ならこうするでしょ!
・こんな対応はいくらなんでもしないだろう!
自分の物差しで相手に期待を抱き、それが外れたときに怒りが生まれるのです。
たとえば、僕は起業したばかりの頃、ブログの運営方法を学ぼうと、専門家の方からコンサルティングを受けました。
疑問点は自分で調べ、試行錯誤しながら行動し、質問や相談があれば、すべて僕からコンサルタントの方へと連絡していました。
しかし、中には自分から動こうとせず、

男性
ずっと放置されている!

女性
相手から連絡がこない!
と怒っている人もいました 笑
これ、「週1回はコンサルタントから連絡する」などの契約を交わしていないのであれば、本人が勝手に期待し、勝手に裏切られた気になっているだけです。
つまり、典型的な「依存」であり「他責」の状態。
なぜこうした状態に陥るのかといえば、その人が「感情」を優先して生きているからです。
論理的に考えた場合、相手の行動は100%コントロールすることはできません。
であれば、自分の内側に意識を向け、自分がコントロールできる領域に集中した方がいい。
今回のコンサルティングの例で言えば、「自分から連絡をする」という行動が最適解です。
このようにロジカルに思考を整理すれば、「相手に期待をしている自分の思考に問題がある」と気づけます。
すると、他責な怒りはまず起こり得ません。
相手に怒ったところで、問題の本質は何も解決していないからです。
それどころか、相手を不快な気分にさせるので、「人間関係の悪化」というマイナスな結果をもたらします。
感情優先の生き方は、非合理的である。
僕も10代の頃は感情のままに生きていたので、感情的になってしまう気持ちは痛いほど分かります。
でも、大人になり、ビジネスの世界で生きる中で、「感情を優先する生き方は非合理的である」と確信しました。
感情なんて、所詮は自分の内側だけで生じている「主観的な反応」にすぎません。
自分の思い通りにいかない現実に対して、負の感情をぶつけたところで、事態が好転することはないのです。
もちろん、感情自体が悪というわけではありません。
大切なのは、湧き上がった感情をどのように解釈し、どう利用するかです。
たとえば、僕も高圧的で怒りっぽい人と一緒にいると、不快な感情は湧きます。
だからと言って、不機嫌になったり、相手を責めたりといった、幼稚な対応は取りません。
その不快感を、「この人とは相性が合わないから、距離を置くのが最適解だ」という次の行動へ繋げるためのシグナルとして活用します。
また、負の感情も、相手にぶつけるのではなく、「今に見返してやる!」という自分を前進させるための推進力として利用できるのであれば、それは極めて理にかなっています。
しかし、世の中の多くの人は、感情を利用するのではなく、感情に「支配」されている状態です。
自分ではどうにもできない「不確定要素」に人生の主導権を渡してしまうのは、戦略としてあまりに非効率です。
だからこそ、僕は客観的な事実に基づいた「論理」を優先するようになりました。
このシンプルな転換だけで、自分自身の心は驚くほど軽くなり、周りの人との関係性もスムーズに回り始めます。
誤解のないように補足すると、「怒り」に似た強いエネルギーを、あえて表に出す場面もあります。
たとえば、子どもが急に道路へ飛び出したとき、多くの親は大きな声で強く制止し、子どもが同じ間違いをしないように指導すると思います。
これは、自分のイライラを相手にぶつけてストレスを解消しようとする「怒る」という行為ではなく、相手の安全や成長を願って戦略的に言葉を届ける「叱る」や「諭す」という行為です。
混同されがちですが、その本質は「自分の利益(主観的な感情)」か「相手の利益(客観的な論理)」かという、決定的な違いがあります。
関連記事:諭す・叱る・怒るの違いとは?諭す教育の必要性を考える!
相手の感情を、計算に組み込む。
ただし、ここで一つ気をつけなければいけないことがあります。
それは、「自分がどれだけロジカルに生きていても、世の中の多くの人は感情を優先して生きている」ということです。
前提として、僕の仕事仲間やクライアントさんは皆さん本当に素晴らしく、寛容で思いやりがあり、感情ではなく論理で物事を考えられる方ばかりです。
これには、本当に感謝しかありません。
それでも、ごくごく稀に、自分の感情を最優先にする方と関わってしまうことがあります。
以前、偏った思考の癖を持っているクライアントさんに改善点を指摘したところ、猛烈な感情の爆発を招いてしまったことがありました。
しかし、ここで僕が、

ユウキ
それって、ただの感情論ですよね?
そのような捉え方をしている、あなたの思考に問題があります。
と正論で返すのは、実は最もやってはいけない「非論理的な行動」です。
なぜなら、火に油を注いで相手を逆上させ、自分の貴重な時間と労力を浪費することになるからです。
おそらく、「上から目線でものを言いやがって!」と、猛反発を喰らうと思います 笑
感情で生きている人間に、論理は通用しないことが多いです。
その時はコンサルティングの期間が残り数日だったこともあり、僕は即座に「私の言葉であなたを傷つけてしまい、大変申し訳ございませんでした」と、謝罪しました。
「問題を最短で解決し、自分のリソースを守る」というゴールから逆算すると、それが最もコストの低い手段だと思ったからです。
特に、感情優先の人たちは、物事が自分の思い通りにいかないと不機嫌になりますが、自分の思い通りに進んだ場合、機嫌が良くなる傾向があります。
だからこそ、正論を突き通すことに固執するより、あえて折れる形をとって相手を立てる。
時として、それがコストを最小限に抑える、最も合理的な戦略になるのです。
僕自身は、感情よりも論理を重視するタイプです。
人から褒められても「やる気を出させようとしているな」と分析してしまいますし、AIに対しても「共感はいらないから、改善点だけ教えてくれ!」と思ってしまいます 笑
しかし、多くの人間は論理的な意見よりも、「承認」や「共感」を求めるのです。
「自分は論理で考えて動くが、他者は感情を優先して動く」
そう割り切り、相手の感情を計算に入れて行動をとった方が、人生は圧倒的に楽になります^^
論理で設計し、感情で体温を宿す。
実は、この「感情と論理の付き合い方」は、文章を書くときも全く同じことが言えます。
たとえば、僕がブログの記事を書くときは、「読者さんに何を学び取ってもらいたいのか?」「どんな構成にすれば伝わりやすいか?」を、徹底的にロジカルに考えて構成を作ります。
しかし、記事の中身はひたすら論理的な文章を書き連ねるのではなく、読者さんの感情に響くように工夫をしています。
この記事を具体例に出すと、「僕も昔はそうだった」という共感、心に響きそうな過去のエピソード、僕の嘘偽りない正直な想いなどを含めています。
なぜなら、人の心は論理よりも感情で動くからです。
たとえば、知り合いに悩みを相談するときも、いきなり正論をズバズバ言われても、あまり心には響かないと思います 笑
それよりも、

妻
その気持ち、すっごくわかる!
わたしも昔はそうだったから!
と言われた方が、その後の意見が心に響くと思います。
文章もそれと同じです。
昔、バリバリ論理的な文章を書いたことがあったのですが、論文みたいで人の心には響きませんでした 笑
それよりも、他者への共感、リアルな失敗談、正直な想いなどを含めた方が、圧倒的に反応が良くなりました。

女性
ユウキさんも自分と同じように悩み、色々と考え抜いた結果、この答えにたどり着いたんだな。
そう感じてもらえたとき、初めて論理に体温が宿り、言葉が相手の心に届くのです。
論理で設計し、感情で体温を宿す。
これが、僕なりの伝わる文章の書き方です^^
まとめ
僕なりの「感情と論理の心地よい付き合い方」でした。
感情に支配された人生ほど、生きづらいものはありません。
そんなときこそ、論理的な思考を意識してみてください。
少し意識してもらうだけでも、ライティングも上達すると思います!




