先日、約2ヶ月ぶりに妻と一緒に瞑想会に参加しました。
前回は、瞑想をしながら「人の期待を背負ってしまう理由」と向き合いました。
今回、心との対話で特に印象に残ったのが、「愛」「感謝」「主体性」という3つのテーマ。
言うなれば、僕が人生やビジネスにおいて特に大切にしている三大要素です。
愛の人間
「愛とは何か?」という問いは、僕が起業して以来ずっと考え続けてきました。
多くの経営者さんと接してきて、心から尊敬できる人の根底には必ず愛があったからです。
しかし、愛の概念を論理的に理解している人は少ないと感じています。
思考の末に辿り着いた、僕なりの愛の定義は、「エゴに基づかない他者貢献」です。
エゴに基づかない他者貢献
エゴとは、「自分は◯◯したい」「相手に◯◯してほしい」という欲のようなもの。
たとえば、あなたが中学生だとして、隣に好きな異性が座っているとしましょう。
その異性が、消しゴムを忘れて困っています。
あなたは、次のAとB、どちらの動機で消しゴムを貸すでしょうか?
A.「自分に好意を持ってほしいから」消しゴムを貸す。
B.「相手に喜んでほしいから」消しゴムを貸す。
Aがエゴに基づく他者貢献であり、Bがエゴに基づかない他者貢献です。
見返りを求めて行動したAは愛とは言えず、純粋に相手のことを想って行動したBこそが愛と言えます。
ビジネスの例
これをビジネスに置き換えてみます。
突き詰めて考えると、ビジネスの役割とは「理想社会の実現」です。
たとえば、僕の会社であれば「一人ひとりの個性が輝き、尊重し合い、笑顔が溢れる社会をつくる。」というビジョンを掲げています。
これが、僕がビジネスをする理由であり、エゴに基づかない他者貢献です。
一方で、「自分が良い暮らしをしたいからお金をがっつり稼ぎたい」という理由だけでビジネスをしている場合、それはエゴに基づいた他者貢献と言えます。
誤解のないように言っておくと、ビジネスにおいて利益の追求は必要です。
この記事も、「世の中が豊かになるように」という願いを込めて書いていますが、集客やブランディングの一環という戦略的な側面もあります。
重要なのは、「根底にある動機」なのです。
理想の社会を目指して価値を提供するからこそ、対価としてお金が入り、そのお金を使ってさらに大きな価値を社会へ還元できる。
利益とは、この好循環を生み出すためのエネルギーに過ぎません。
つまり、僕が大きな売り上げを目指すのは、私利私欲のためではなく、より多くの人に価値を届け、より大きな社会貢献に繋げるためなのです。
正直に言えば、「妻と一緒に旅行へ行きたい」「快適な暮らしをしたい」などの欲はありますが、それは社会に良い価値を還元するための活力として捉えています。
与えない愛も存在する
もう一つ重要なのは、ただ「与えること」ばかりが愛ではないということです。
自分が愛を与え続けていると、際限なく求めてくる人も現れます。
人に求めてばかりいる人のことを、「テイカー気質」と言います。
極端な例を挙げれば、「お金がないのでユウキさんのサービスを無料で受けさせてください」という人など。
求める人に何でも与えてしまえば、自分が犠牲になるだけではなく、相手が自力で問題を解決し、成長する機会も奪ってしまいます。
それにも関わらずに与えてしまうのは、「周りに良い人間に思われたい」「親切にして気持ちよくなりたい」「人から嫌われたくない」という、エゴに基づく行動に他なりません。
相手のことを考えて、あえて「与えない」「線を引く」という厳しい側面も、エゴに基づかない他者貢献には含まれているのです。
求めずに与えよ
大切なのは、「求めるのではなく、与える人生を送る」ということ。
僕は、「自分は社会や他者のために行動し、誰に対しても優しくあろう」と考えています。
それと同時に、「社会や他者は自分のためには動いてくれないし、優しくしてくれないだろう」と割り切っています。
自分は与える側に回るが、社会や他者には求めないということです。
「そんな人生辛くないの?」と聞かれることもありますが、まったく辛くありません。
僕は常に、与えられているものに目を向けているからです。
日本という平和な国に五体満足で生まれ、何不自由なく育ち、学校にも通わせてもらいました。
今は毎日食事ができ、雨風をしのげる家もあり、ふかふかのベッドで眠れます。
親からは愛され、素晴らしい妻にも恵まれ、尊敬できる仕事仲間やクライアントさんにも囲まれています。
与えられているものに目を向けると、十分に満たされていることに気づけます。
これだけ多くを与えられているにも関わらず、「愛されたい」「大切にされたい」「優しくされたい」「認められたい」と求めるのは、僕からしてみれば強欲に過ぎません。
これ以上、一体何を求めるというのでしょうか?
未成年は与えられたり、守られたり、受け取る割合の多い存在です。
しかし、成人を迎えたら、今度は社会へ還元する番だと考えます。
僕は多くを与えられて大人になったので、今度は自分が与える側に回っているだけなのです。
与えるほど結果的に満たされる
愛を求めていない僕ですが、これが面白いもので、妻に愛され、尊敬できる仕事仲間に恵まれ、素晴らしいクライアントさんたちにも出会えました。
「愛の人間」でいようと努め、徹底的なまでの「Give&Give(見返りを求めずに与えること)」を貫くことで、信頼関係が構築されます。
だから結果として、ビジネスも軌道に乗り、愛を注いでくれる人たちに囲まれるのです。
要は、人生や人間関係とは、自分の内面を映し出す鏡と言えます。
一方で、愛を求めている人は、「なぜ愛を注いでくれないのか?」「なぜ大切にしてくれないのか?」「もっと優しくしてほしい!」「もっと気を遣ってほしい!」と不満や怒りを覚えます。
その結果、愛されることもなく、周りから人が離れていき、ビジネスも上手くいきません。
僕はそういう人を、これまでに何人も見てきました。
愛とは求めるものではなく、与えるものである。
これが、僕の辿り着いた愛のロジックです。
感謝の心
愛と同様に大切なのが、「感謝の心を持つ」ということ。
特に、現代の日本は物質的に豊かすぎます。
そのため、すでに多くのものを与えられている事実に気づけていない人が非常に多いと感じます。
瞑想をしながら、「感謝できること」と向き合ってみました。
当たり前は決して当たり前ではない
僕たちが感謝できることを挙げたら、本当にキリがありません。
・日本という平和な国で暮らせていること。
・五体満足で健やかに生きられていること。
・毎日おいしい料理を食べられていること。
・雨風を凌げる温かい家に住めていること。
・ふかふかのベッドで安心して眠れること。
しかし、この生活がいかに有り難く、奇跡的なことなのかに気づけていない人は、案外多いのではないでしょうか。
たとえば、世界を見渡せば、今日食べるものもなく、住む家もなく、安心して眠れるベッドすらもない人たちがいます。
今も紛争が起き、この瞬間にも理不尽に尊い命が失われている現実だってあるのです。
それにも関わらず、多くの人たちは恵まれた日常を当然のものとして受け取り、感謝することを忘れています。
・誰かが自分のためにご飯を作ってくれているのに、お礼すら言わない。
・農家の方が丹精込めて作ってくれた食材や、それを届けてくれるスーパー、流通に携わる人たちへの感謝を持たない。
・反対に、たまたま料理が出てくるのが遅れたり、思い通りの味でなかったりしたときには、途端に不満を募らせて文句を言う。
僕は、生活が物質的に豊かになったが故に、人の心が貧しくなっているように感じるのです。
まさに、「与えられることを当たり前だと勘違いし、与えられないことに不満を感じる」という依存的な思考に陥っています。
僕からしてみれば、「与えられないことが当たり前であり、与えられることこそが奇跡」なのです。
特に感謝を感じるようになったきっかけ
偉そうなことを言っていますが、僕も10代の頃は今ほど感謝ができる人間ではなかったです。
親がご飯を作ってくれても、お礼も言わずに食べるだけでした。
そんな僕の価値観がガラリと変わったのは、20代半ばで起業したときです。
起業して1〜2年目のときはお金がなく、世間で見ると低所得者層に属していました。
それなのに、客観的に自分の暮らしを見つめ直したとき、驚くほど豊かな生活を送れていることに気づいたのです。
・東京の2LDKのマンションに住み、エアコン完備の快適な部屋で過ごす。
・毎日美味しい料理が食べられて、蛇口をひねれば水が出てくる。
・お風呂では体の疲れを癒せて、夜はふかふかのベッドで眠る。
その理由はシンプルでした。
先人たちが築き上げてくれた社会インフラや経済システム、そして多くの人たちの働きによって、僕たちの生活水準は大きく底上げされているからです。
つまり、日本という国に住んでいる時点で、豊かな社会の恩恵を受けているのです。
それから僕は、自分がいかに恵まれた人生を送ってきたかに気づきました。
そして、感謝の心を忘れないためにも、自宅に神棚を飾るようになったのです。

起業してからずっと、朝と晩の2回、必ず手を合わせて妻と一緒にお礼を述べています。
この世界に住むすべての人々への感謝を、胸に刻み込むためです。
起業したばかりの頃は、「今は受け取る総量の方が多いですが、力をつけて必ず社会へ還元します」という誓いを込めていました。
30歳を過ぎた頃から、ようやく社会へ与える総量の方が多くなってきたのではないかと実感しています。
あらゆる人や出来事へ感謝する心
極端に聞こえるかもしれませんが、僕はあらゆる人や出来事に感謝するようにしています。
それが、一見すると最悪に思える人や出来事だったとしてもです。
たとえば、僕は過去に「モンスタークライアント」と呼ばれる、依存体質や他責思考のクライアントさんと関わったことがあります。
精神的にかなり消耗したのですが、僕はその人や出来事にも心から感謝しています。
なぜなら、その人と出会い、理不尽な目にあったからこそ、自分と他者との境界線を見直すきっかけや、自分自身の成長に繋がったからです。
さらに、その経験を発信することで、同じような問題で苦しんでいる人の役にも立てます。
出会った人や起きた出来事そのものは変えられません。
しかし、その経験から何を学び、どう活かすかは自分自身で選択できます。
だから僕は、ありとあらゆる出来事や人へ感謝するようにしているのです。
受けた恩は誰かに繋ぐ
ただ、僕がこれまで社会や人々から受け取ってきた膨大な恩恵は、どれだけ感謝しても、到底一人ひとりには直接返しきれません。
心から感謝しているのに、お礼を言えていない人だってたくさんいるのです。
だからこそ、僕は受けった恩を本人に返すのではなく、自分が関わる全ての人、そして社会全体へと渡そうとしています。
この考え方を、「ペイ・フォワード(恩送り)」と言います。
僕が恩師から教わったことであり、世界を豊かにする最も美しい循環の形です。
ビジネスをしていると、お礼のメッセージをもらったり、感謝の気持ちを伝えられることが多いです。
それはとても嬉しいのですが、僕に恩返しをしようとは考えないでください。
僕が最も嬉しいのは、僕の提供した価値から学びを得て、その人が社会へと還元してくれることです。
感謝の心を持ち、受けた恩を社会へ還元する。
その循環が広がれば、社会はより豊かな場所になると信じています。
主体的な人生
僕たちの多くは、無意識のうちに「人からどう見られるか」「人からどう評価されるか」を気にして生きています。
しかし、本当に大切なのは、外からの評価ではなく「自分がどうありたいか」という内なる軸です。
自分で選択した生き方
たとえば、僕は「善なる行動を取り続けること」を、一つの軸として生きています。
自分のためではなく、社会のため、他者のために尽くすことが、僕の生き方なのです。
この生き方は、人によっては到底理解できないと思います。
正直に言いますが、20代前半の僕だったら、おそらく理解できませんでした 笑
中には、「偽善者だ」と言う人もいれば、「綺麗事だ」と笑う人もいるでしょう。
しかし、他者からどう思われるかなんて、僕にとっては心底どうでもいいことなのです。
周りからどう見られようと、どう評価されようと、僕の人生には関係ありませんし、僕も存在価値も揺るぎません。
だから僕は、周りの声に左右されることなく、自分が社会にとって「善」だと信じる行動をただ実直に取り続けようと思います。
僕がやり遂げたいこと
善なる行動の具体的なカタチとして、僕は事業に取り組んでいます。
そして、事業の一環として、いま僕がやり遂げたいと考えているのが「小説」の執筆です。
今年に入ってから、創作活動にエネルギーを注いでいます。
僕はこの記事の中で、「愛」「感謝」「主体性」について語ってきました。
しかし、これらは理屈で説明するよりも、ストーリーとして届けた方が、より人の心に響きます。
なぜならば、人は理屈よりも感情で動く生き物だからです。
ストーリーには、人の心を動かし、価値観を大きく変える力があります。
だからこそ、僕は自分が伝えたいメッセージのすべてを、小説という世界に落とし込んで描きたいと考えているのです。
僕の人生を振り返り、自分の経験から学んだ「本当に伝えたい要素」をピックアップし、物語として再構築する。
それは、僕にしかできない社会への価値提供の形なのです。
才能を世の中のために使う
僕は自分を客観的に見て、クリエイターとしての素質が優れているという自負があります。
いわゆる芸術家肌であり、具体的には次のような才能を持っています。
・ストーリーを組み立てる
・セリフを考える
・抽象的な考え方を言語化する
・経験をコンテンツに変える
・キャラクターを創る
・独自の世界観を構築する
これらは僕が努力して手に入れたというよりも、持って生まれた「授かりもの」だと思っています。
運よく与えられた才能だからこそ、私利私欲のために使うのではなく、世の中のために使い切りたいのです。
自らの才能を社会のために使う。
これもまた、僕が自分で選択した主体的な人生です。
まとめ
久しぶりの瞑想会でしたが、素晴らしい環境やご縁に恵まれていることに、改めて感謝する時間となりました。
この記事が、読んでくださったあなたの学びとなり、新しい価値の循環へと繋がっていけば、これほど嬉しいことはありません^^




