さてさて、今日のテーマはかなり哲学的な話です。
僕は普段から、「人は社会の中でどう生きるのが有益なのか?」「どんな志を持てば社会は豊かになるのか?」を考えています。
答えのない問いを自分の頭で考え続け、自分なりの最適解を導き出すのが楽しすぎるのです。
昨日も妻に自分の考え方を話していたら、「よくそんなに難しいことばっかり考えられるよね!」と言われました 笑
僕のように事業をしている立場の人は、こういった問いと向き合う機会は自然と増えると思います。
いま、僕が人生の指針としているのは、「世と人に尽くすため、人格を磨き続ける。」という考え方です。
今回は、思考を整理する意味でも、僕の人生哲学をまとめました。
この記事が、あなたの心に届き、社会が豊かになるきっかけになれば嬉しいです。
「世と人に尽くすため、人格を磨き続ける。」とは?
己の欲ではなく、他者や社会を想って行動する。
その志を貫くために、生涯をかけて学び、成長し続けるという生き方です。
25歳で起業して、これまで様々な学びと経験を積んだ上で辿りついた僕なりの答えです。
僕の人生の指針として、胸に刻み込んでいます。
とはいえ、僕もまだ人間として未熟なので、100%は体現できていません 笑
人生の指針としている理由は、それが社会全体が最も豊かになる生き方だと信じているからです。
詳しく言うと、下記のような一人Q&Aを繰り返して、たどり着いた答えです。
- 人が生きる意味とは何か?
何もないから、自分で意味を見出すことが大切。
(与えられるものではないし、絶対的な正解もないから、自分なりの答えを見つければ良い。)
- では、僕が考える最も有益な生きる意味とは何か?
社会に存在する人々が幸福に暮らせて、人類が発展していくこと。
(どうせ意味を持つならば、より多くの人にとって有益な影響を与えられる方が良いと思った。)
- では、社会に存在する人々が幸福に暮らせて、人類が発展していくためにはどうすれば良いのか?
世と人に尽くすこと。
そして、生涯にわたって人格を磨き続けること。
僕なりの考え方をまとめると、こうなります。
生きる意味とは、誰かに与えられるものではなく、自分自身で見出すものである。
僕が見出した意味は、「社会に存在する人々が幸福に暮らせて、人類が発展していくこと」。
それを実現させるためには、「世と人に尽くし、人格を磨き続ける」という行動指針が必要。
わかりやすく、前半の「世と人に尽くす」と、後半の「人格を磨き続ける」に分けて解説します。
「世と人に尽くす」とは?
己の欲ではなく、他者や社会を想って行動することです。
例えば、僕の会社は、次のようなミッション(事業をする理由)やビジョン(目指している社会)を掲げています。
- ミッション
Webマーケティングで中小企業・個人事業主の可能性を広げ、社会を発展させる。
- ビジョン
一人ひとりの個性が輝き、尊重し合い、笑顔が溢れる社会をつくる。
僕が中小企業や個人事業主さんを支援し、素晴らしい商品や有益な情報が広がれば、社会は豊かになるはずです。
また、僕は事業が成功するだけではなく、それぞれの個性や強みを最大限に発揮してもらいたいと思っています。
そうして、一人ひとりの個性が輝き、尊重し合い、笑顔が溢れる社会を実現することが、僕の目指す未来です^^
関連記事:創業12年目にして「企業理念」を見直すことにした!
いまの僕が、社会に提供できる最も有益な価値だと思っています。
だから僕は、自分の知識・経験・才能のすべてを、社会のために使いたいです。
自分のために行動するのは悪なのか?
それじゃあ、「自分のために行動するのは悪いことなのか?」と言われれば、決してそうではありません。
法を犯したり、人を傷つけたり、著しく道徳に反することは論外として、人は自由に生きる権利があります。

ユウキ
事業をするにあたって、ミッションやビジョンを掲げたぞ。
でも僕は、高級マンションに住んで、高級車を乗り回して、周りからチヤホヤされるために売り上げを伸ばすのだ!
と内心では思っていても、僕の行動によって多くの人たちが幸せになり、社会へ貢献できているのであれば、何も問題ありません。
しかし、ここで重要なポイントがあります。
他者や社会のためを想って行動する方が、結果的に社会全体(自分自身も含む)が豊かになりやすいのです。
相手のための行動は「与える精神」が原動力なのに対し、自分のための行動は「求める精神」が原動力だからです。
与える精神(愛) | 求める精神(欲) |
---|---|
無条件で与える意志を指します。 他者や社会の幸福を願い、見返りを求めないで行動します。 | 条件付きの感情を指します。 自分が満たされることを前提に、見返りを求めて行動します。 |

例えば、僕は妻と一緒にいるときは、「いつもありがとう」と口に出し、スキンシップをはかり、妻が心地良く過ごせるように心がけています。
お客様ファーストならぬ、妻ファーストです 笑
僕の行動が、「与える精神」に基づく場合と「求める精神」に基づく場合で考えてみましょう。
与える精神に基づく場合 | 求める精神に基づく場合 |
---|---|
「妻に幸せでいてほしいから優しくする」 期待や欲望が一切存在しないため、妻の反応に一喜一憂することなく、純粋な気持ちで幸せを願えます。 | 「自分を愛してほしいから優しくする」 見返りを求めているため、妻の反応に一喜一憂し、思い通りにならないと不満や苛立ちが生まれます。 |
欲を原動力にすると、自分の利益や考えを優先してしまったり、不満や苛立ちを感じやすくなります。
途中で、「本当は相手のために行動するのが大事なのかも…!」と気づければ、そこから軌道修正することもできます。
でも、大人になってもそのことに気づかず、いつまでも欲に振り回されてしまう人がいるのです。
だからこそ、最初から「求める」のではなく、「与える」ことに意識を向けておく方が、回り道をせずに済みます。
他者のために行動するのは善なのか?
それじゃあ、「何でもかんでも相手に与えれば良いのか?」というと、それもまた違います。
「与えるつもり」の行動が、実は自分にも相手にもプラスになっていないケースがあるからです。
例えば、僕はクライアントさんから、文章の添削依頼をよく受けます。
このときに、より社会が豊かになるための僕の選択は、次のAとBのどちらでしょうか?
A | B |
---|---|
僕がクライアントさんの文章をすべて丁寧に書き直す。 | 僕が改善点を指摘して、クライアントさんに修正してもらう。 |
答えはBです。
Aの方が丁寧で貢献しているように見えますが、実はクライアントさんの成長の機会を奪っているのです。
A:僕が文章をすべて書き直す場合 | B:クライアントさんに修正してもらう場合 |
---|---|
クライアントさんは、かなり楽ができます。 しかし、自立心や表現力などの成長を妨げてしまいます。 結果的に、社会の発展にはつながりにくい可能性があります。 | クライアントさんは、大変かもしれません。 しかし、その過程で自立心や表現力が向上します。 その結果、本人の能力が高まり、それが社会の発展にもつながります。 |
もちろん、お手本を見せるという意味では、Aの選択も正解です。
最初に「こうすればもっと良くなる」という完成形を提示することで、理解が深まりやすくなります。
ただし、それが常に繰り返されると、良い結果にはつながりません。
このように、良かれと思って行動したのに、それが自分や相手のためになっていないケースがあります。
お客さんのために商品を安く提供し続けて、会社が倒産してしまうのも、その一例ですね。
自分や社員が犠牲になり、社会貢献ができなくなるので、価値に見合うだけの対価は受け取る必要があります。
他者に与える上で、特に気をつけた方が良いのは次の3つです。
・自己犠牲に気をつけること
・自己満足に気をつけること
・与える相手に気をつけること
関連記事:「give & give」を意識することで、人生も事業も上手くいく!
ぜひ一度、自分の行動と照らし合わせてみてください。
俯瞰して考えることが大事
重要なのは、その時々で「最適な行動は何か?」を考えることです。
僕は最適解を選ぶためにも、「自分の行動が人にどんな影響を与え、それが社会にどう反映されるのか?」まで意識を広げて考えます。
自分の感情や欲望に流されず、数ある選択肢の中から、自分自身を含めた社会全体が、最も豊かになる方法を選ぶのです。

いまこの瞬間も、どう伝えればあなたの心に響き、社会にとって有益な結果をもたらすか、徹底的に考えながら記事を書いています 笑
人はどうしても、感情に流されて物事を判断してしまいがちです^^;
だからこそ、物事を合理的に判断するための俯瞰力を身につけた方が良いと思います。
合理的と聞くと、少し冷たくドライな印象を受けるかもしれませんね。
しかし、本当の合理性とは、他者や社会の未来をより良くするためのあたたかい選択です。
例えば、ブラック企業に勤めているAさんがいるとしましょう。
Aさんの会社では、毎日のようにサービス残業が行われ、上司によるパワハラも多発しています。
この場合の最適解の一つは、労働基準監督署や弁護士へ相談し、会社の体制そのものを見直してもらうことです。
それが抑止力にもなり、同じような被害を繰り返さないための仕組みが生まれます。
にも関わらず、「お世話になっている会社だし、迷惑をかけたくないから…」と、感情で判断してしまう人が多くいます。
一見すると、この行為は「思いやり」のように見えるかもしれません。
しかし、実際にはその判断がブラックな環境を容認し、さらに犠牲者を増やすことにも繋がるのです。
こうして冷静に考えてみると、感情に流されず、合理的に判断することが、実は人間らしい愛にあふれた選択なのだと気づかされます。
「人格を磨き続ける」とは?
世と人に尽くすために必要なのが、人格を成熟させることです。
人格の成熟とは、人としてのあり方が洗練されて、成熟している状態のこと。
今回の話で言えば、私利私欲を手放し、他者や社会の幸福のために行動できる、利他の精神を持った人間へと成長している状態です。
人格が成熟していなければ、自分が「他者のため」と思ってとった行動が、実は自己犠牲や自己満足で、社会にとってマイナスになる可能性があります。
より良い社会を形成するために、我々は生涯をかけて学び、行動し、人格を磨き続ける必要があるのです。
マズローの欲求段階説
あなたは、マズローの欲求段階説をご存知でしょうか?
アメリカの心理学者である「アブラハム・マズロー」が、人間の欲求を段階に分けて体系化した理論のことです。

マズローの欲求段階説の頂点に君臨するのが、人格が成熟した状態、いわば「自己超越」です。
自己を超越した人間は、自分の存在や欲求にとらわれず、社会にいるすべての人たちを思いやりながら生きています。
極端な例を挙げると、もし僕が空腹を感じたとき、「お腹が空いたからご飯を食べよう」と、ただ自分の欲求で動くのではなく、「自分の身体が空腹を感じているから、ちゃんと栄養を摂らせてあげよう」と、俯瞰した視点から自分を思いやれる状態です。

自分の感情や欲望といったエゴにとらわれず、純粋に「人のためになる選択」ができるということですね。
これは極論ですが、僕は自己超越を目指して日々活動しています 笑
自己超越を目指す
一見すると、マズローの欲求段階説は、「生理的欲求」や「安全欲求」を満たしてから、「社会的欲求」→「承認欲求」→「自己実現欲求」→「自己超越」と、段階的にステップアップしていくものだと考えがちです。
たしかに、欲求そのものは段階的に上がっていく傾向があります。

しかし、本当に大切なのは、最初から「自己超越」を目指すということです。
「まずは自分を満たしてから、社会のために動こう!」だと、成長や貢献が遠ざかってしまいます。
たとえ自分がまだ満たされていなくても、今できる形で、他者や社会のために動こうとする姿勢が大切です。
そうした利他の精神は、巡り巡って自分の心を満たし、結果的に自分を含めた社会全体の豊さにつながっていきます。
「自分が幸せでなければ、他者を幸せにできない」という言葉を聞いたことはありませんか?
確かに一理ありますが、僕はこれは半分正解で、半分誤解を生む表現だと思っています。
自分がまだ満たされていない状態でも、他者のために動いて、貢献することはできるからです。
その結果として、自分の心が満たされ、心の底から他者の幸福を願えるようになります。
この理論、事業で考えてみるとよくわかります。
例えば、僕が今日から事業をスタートするとしましょう。
「Webマーケティングで中小企業・個人事業主の可能性を広げ、社会を発展させる。」というミッションを掲げ、徹底的に社会のために行動します。
すると、お客さんから信頼されるので、売り上げが上がるようになり、社会へ貢献できるようになり、心も満たされ、人格が成長します。

人に与え続けることで、お金や人間関係など、目にみえる豊さも、後からついてくるのです。
つまり、「まずは下から順番に欲求を満たし…」と考えるのではなく、最初から世のため人のために尽くす気持ちで生きる。
最初から自己超越を目指すことで、自然と欲求は満たされていくというわけです。
人格が成熟するまでは、「売り上げを伸ばして良い生活をしたい」とか、「人からカッコよく見られたい」など、欲があるのは当然です。
すべての欲が悪とは言い切れませんし、それが原動力になるならば、上手に使えば良いと思います。
しかし、自分の幸福だけを追求し続けると、欲に溺れ、自分を見失い、より良い選択肢を見誤る可能性があります。
だからこそ、自分のためだけに生きるのではなく、他者や社会への貢献にも目を向けることが大切なのです。
目的を自分ではなく他者に向ける
正直に言えば、僕も10代・20代の頃は、とにかく自分のことばかり考えていました^^;
世と人に尽くすような生き方ができるようになったのは、30歳を過ぎた辺りからだと思います。
もちろん、今でも欲はありますが、それらは社会へ還元するためのエネルギーとして使うようになりました。
目的が自分ではなく他者に向いたとき、欲は社会貢献のエネルギーへと変わるのです。
・「売り上げを増やしたい」→広告を打って、より多くの人たちを助けられるから。
・「総資産を◯億円にしたい」→お金の心配を一切せず、社会貢献に徹底集中できるから。
・「事業をより効率化したい」→空いた時間で、新しいコンテンツを生み出せるから。
・「良い家に住みたい」→設備の良い家に住むことで、仕事のパフォーマンスが上がるから。
・「成長をしたい」→自分が成長することで、世の中に良い影響を与えられるから。
・「妻と旅行へ行きたい」→経済が回るし、旅行で得た気づきを発信できるから。
人は経済的に苦しかったり、精神的に余裕がないときほど、自分中心で動いてしまいます。
しかし、そんなときこそ、少しでも良いので世の中に目を向けてみてください。
それが結果的に、自分を豊かにすることにつながります。
結論に至るまでの流れ
僕は「社会の豊かさ」という抽象的な概念を、自分の経験や知識と照らし合わせながら、とことん論理的に掘り下げた結果、「世と人に尽くすため、人格を磨き続ける。」ということが、最適解だという結論に至りました。
しかし、この結論に至るまでには相当な回り道をしています 笑
自分を見失った過去
詳しくは自伝でも解説していますが、僕は元々は会社員が向いておらず、「経営者の方が適性がありそうだし、理想的な生活ができそうだな」という至極単純な理由で、Webマーケターとして開業しました。
もちろん、事業をする以上は「お客さんに良いサービスを提供したい!」という熱い気持ちはありましたが、当時は僕と妻の利益を第一優先にしていました。
事業をしているにも関わらず、最初は理念すらも掲げていなかったです 笑
その後、売り上げが安定するようになり、会社を立ち上げたのですが、僕の心は空っぽでした。

ユウキ
僕と妻の幸福を追求し、これまで努力してきた。
経済的にもゆとりができて、代表取締役という肩書きも手に入れたが、結局はまったく満たされていない…。
今の自分は、何のために事業をしているのだろうか?
僕は「非地位財(他人と比べられないもの)」ではなく、「地位財(他人と比べられるもの)」を追求したために、一時的な満足を得ただけで、心は満たされていませんでした。
地位財の例 | 非地位財の例 |
---|---|
お金、洋服、高級時計、高級車、家、肩書き、地位、名誉など | 自由、主体性、挑戦、成長、愛情、感謝、健康、社会貢献など |

要は、与える気持ちよりも、求める気持ちの方が強かったのです。
それでも妻は言ってくれました。

妻
あなたがどれだけ自分のために事業をしてきたとしても、たくさんの価値提供はしてきたじゃん。
お礼の連絡だってもらっているし、あなたのおかげで幸せになった人はたくさんいるよ!
いまの私も幸せだよ^^
今でしたら、妻の言葉を素直に受け止められます。
動機はどうあれ、僕は社会へ価値を提供し、お客さんに寄り添った対応をしてきました。
何より、そんな優しい言葉をかけてくれる最愛の妻が側にいてくれるのですから、これ以上、何かを望む必要もありません。
しかし、当時の僕は自分を責め続け、自己肯定感が地の底にまで落ちているので、その言葉が全く入ってこないのです。

ユウキ
本来はお客さんの幸福を追求するべきだった…。
他者や社会の幸福を願って行動していたら、もっと救われた人はたくさんいたはず…。
もしかしたら、自分のせいで不幸になった人がいるかもしれない…。
その声から逃れるように、妻と旅行へ出かけ、ひたすらゲームをプレイし、欲しいものをひたすら買い漁ったのですが、余計に惨めな気持ちになりました。
「自分は私利私欲に呑まれた悪人である」と思っていた時期すらもあります。
今にしてみると大袈裟だと思いますが、当時の僕は自分の存在をとにかく否定していたのです。
求める人間から与える人間へ
その後、恩師から「本来のビジネスは、社会貢献が目的だよ。だから、自分が社会へ何を提供できるのか、何を与えたいのかを、よく考えてみると良いよ!」と言われ、僕は本質を見落としていたことに気づきました。
自分を満たすため、社会へ貢献する。
社会貢献の結果、自分が満たされる。
同じ社会貢献でも、「自分の幸福のために事業をするのか?」「他者の幸福のために事業をするのか?」では、行動の質も、充実感も、何もかもが変わるのです。
そして、30歳の頃に僕は考え方を改めました。

ユウキ
自分のためではなく、世のため人のために事業をしよう。
自分の知識・経験・才能のすべてを、社会貢献のために使おう!
マズローの欲求段階説でいう、自己超越を目指そうと思ったんです。

それからは、社会貢献のために事業をするようになり、現在は「Webマーケティングで中小企業・個人事業主の可能性を広げ、社会を発展させる。」というミッションや、「一人ひとりの個性が輝き、尊重し合い、笑顔が溢れる社会をつくる。」というビジョンを掲げています。
自己超越を目指して行動する中で、自分自身も満たされるようになり、「社会に対して、より質の高い価値を提供したい」と思うようになりました。
それに伴い、価値観の合う仕事仲間やお客さんに出会えるようになりました。
自分の意識が変わると、集まる人たちも変わります。
そして、この結論に辿り着いたのです。
自分のためではなく、世のため、人のために尽くす。
求めるのではなく、与える精神を持つ。
しかし、人のために行動しても、それが自己犠牲や自己満足の場合、社会にとってはマイナスになる可能性もある。
だからこそ、生涯をかけて人格を磨き続け、社会にとって本当に価値ある行動ができる人間になることが大切なのだ。
論理的に考えれば簡単にわかることなのに、未熟な僕は30年以上も気づきませんでした 笑
「世のため人のために尽くすなんて、誰でも知っている当たり前のことだよ!」と思われたかもしれません。
しかし、この当たり前のことを、自分の頭で徹底的に考え、実際に行動に移せている人が、果たして世の中にどれだけいるでしょうか?
・「顧客ファースト」を掲げながら、自分の利益を優先して強引なセールスをしている。
・承認欲求を満たすために、SNSでキラキラとした日常を毎日アップしている。
・自分の指導方法を見直した方が良いのに、「部下が使えない」と文句を言っている。
・人に与えることはせずに、「年収1,000万円以上の人と結婚したい」と求めている。
・社会正義を振りかざして、不倫した芸能人をコメント欄でひたすら叩いている。
世の中には、こういう人が溢れています。
僕もこれまでに、地位財を求め続け、欲に溺れ、苦しんでいる人を見てきました。
当たり前のことを知っているのと、当たり前のことを実践できていることは、まったく意味が違います。
だからこそ大切なのは、「いまの自分を受け入れ、社会のために生きられるような人間を目指す」ということです。
人間は完璧ではないので、欲に心を乱されることもあれば、感情的になることもあります。
そんな中で自己超越を目指し、努力することで、少しずつ人格が磨かれていくのです。
すべての経験に意味がある
こんな感じで長い回り道をしたわけですが、今にして思えば、すべて意味のある経験でした。
悩み、もがき、苦しんだおかげで今の僕があるわけですし、同じ苦しみを抱えた人の気持ちがよくわかります。
順風満帆に事業が進んでいたら、今のような使命感も芽生えていなかったかもしれません。
僕はWebマーケターとして、会社さん、個人事業主さんを支えるのが仕事です。
マーケティングだけではなく、精神面からも支えることで、世の中はより豊かになると思います。
クライアントさんの集客力が上がっても、昔の僕のように心がすり減っていたら問題ですからね。
だから今後も、マーケティングのやり方だけではなく、心のあり方も発信していきます。
僕のこれからの課題は、世の中にどれだけ多くの価値を残せるかです。
「多くのことを得られた」と思うよりも、「多くのことを残せた」と思って、一生を終えたいです。
巨万の富を築いた人間でも、結局最後は動けなくなりますからね。
自分よりも下の世代はもちろん、残された人たちが少しでも豊かに暮らせる、そんな社会を実現したいです。
そのためにも、経験を積み、知識を得て、価値を提供し、売り上げを伸ばし、社会へ還元していきたいと思います^^
まとめ
だいぶ長くなったので、簡潔にまとめます。
自分のためではなく、他者のために行動することは、巡り巡って社会全体(自分を含める)を豊かにする。
本当に価値ある行動をするためには、生涯をかけて人格を磨き続けることが大切。
自己超越の境地に辿り着けるかどうかよりも、目指して努力をすることに意味がある。
僕とあなたとでは、事業の内容も、目指している社会も違うと思います。
しかし、突き詰めた場合、目指す先は「より良い社会の実現」です。
同じ事業者として、共により良い社会を作っていけたらと思います^^
この記事から、何か学べることがあれば嬉しいです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきどうもありがとうございました!
PS.
僕は、週刊少年ジャンプに掲載されていた、「BLEACH」という漫画が好きです。
その中に、「涅マユリ」というマッドサイエンティストの科学者が登場します。
彼は倫理的に問題のあるキャラクターですが(笑)、科学者としての在り方には、共感する部分があります。
この世の中に完璧なものなど存在しない。
仮に完璧なものがあった場合、それは創造の余地を失った絶望である。
科学者は、優れたものを創ろうとしながらも、それを決して完璧とは思ってはならない。
不完全なものだからこそ、改良を重ね、進化し続けられる。
「絶対に到達できない完璧を目指す」という矛盾に苦しみながらも、その過程に快楽を見出す。
それこそが、科学者としての在り方である。
僕なりにざっとまとめると、こんな感じです。
これはまさに、人間の成長にも言えることだと思います。
人格が完璧に成熟することはあり得ない。
もし成熟しきったと思うなら、それは自分の傲慢に過ぎないだろう。
生涯にわたって学び続け、成長の過程に喜びを見出すことが、人間としての在り方である。
成熟できるかどうかではなく、成熟を目指して歩み続けること。
こんな生き方を、これからも大切にしていきたいですね^^